2008-11-15

空がない

「今日、月、見ましたか?きれいですよ!」

と、山に住む遠くの友人から、メールが届く。

窓から外を覗くと、東の空は、建物で覆われていて、見えなかった。上着も羽織らず、そのまま外を10分ほど歩くが、出たばかりの地平線近くの月は、どこまで歩いていっても見えないのだった。



便利を選択するということは、
美しい瞬間を手放すということなのだろうか。

少年老いやすく・・・


高尾山の紅葉、見頃です。



「歩いて1分トレイルヘッド」という、天国のような環境=カナディアンロッキー、でひと夏過ごしてしまった後の悪い弊害は、

「電車乗り継いで最低1時間、わざわざ遠くまででかけなくてはいけない」 日本の山行きが、どうにも面倒くさくなってしまったことだ。

が 、東京に住んでいるんだから、そんな文句いったって、山が近づいてくるわけでもなし、現状は現状として潔く受け入れるべし。

というわけで、 カラッ 、と、太陽が笑うさわやかな秋空の陽気に背中を押され、久々に森を走りにいこうと電車に揺られた。




私:「ねえ、筋肉つけるのは時間かかるくせに・・・、ちょっとサボると・・・、ハアハア・・・、すぐに体力って落ちるよねぇ・・・。ああ、いつものコースなのに・・・今日は、何だかキツイ・・・ハアハア」

友:「それを、人は「老い」と呼ぶんだよね」





「オブラートに包んで柔らかく物事を言う」ような、高度な話術を知らぬ(でも心優しく、私のノロマなペースに笑顔でつきあってくれる)友人の言葉にグサリとさされ、

ちゃんと相手のペースを乱さず走れるよう、きっちり体力メンテナンスすることを、遠くに見えた富士山に誓う。

2008-11-14

匂いの記憶

用事があって、朝5時半起床。ブラインドを開けると、満月を過ぎ少しだけ欠けた月が、まだ明けぬ空にぽっかりと、オレンジ色に弱々しく光る。


やがて、
ゆっくりとピンク色に染まる空。

人口1280万人の空の下でも、

不思議と

朝の空気は、混じり気なく、どこまでも透明な匂いがする。

この匂いは、遙か彼方の北の大地で、確かに嗅いだことがあり、朝から少しだけ幸せな気分にさせてくれる

だから

冬の
早起きは、
嫌いじゃない。

(たまになら)

2008-11-13

お金持ちがつかう机

ルピナスさん、読みましたよ!しかも、昨日!!何という偶然でしょう!!!」



わざわざ連絡をくれたM・Kさんへ、

もう一冊、たぶん、好きであろう・・・、ユーコンの川の上で、トラビスの話を聞きながら感じた気持ちを思い出すであろう本を、ご紹介しておきます。 私が、アラスカの氷河の上で読み聞かせしてもらい、その後、自分の気持ちがぶれそうになったときに、何度も何度も、手に取っている絵本です。



それから、

これ、コドモだけじゃもったいない、意味深いよなあ・・・という絵本をご存じの方、教えてください。

なお、絵本は、翻訳者の意識が入る前の、原本を手に取られることをお勧めします。何しろ絵本なので、英語もカンタン!




まだ半分?もう半分!

コップに半分入った水。
まだ半分派?もう半分派?

じゃあ、ガソリンは?



ガソリンメーターが半分を下回る。私の場合は、「おおっと、もう半分しかない。給油しなくちゃ」と思う「もう」派だ。300キロ進まないと次のガソリンスタンドがないアラスカじゃなくて、1キロごとにガソリンスタンドがある東京でだって、この基本的考え方は変わらない。

ガス欠で立ち往生なんて、とんでもない!!

ときに大胆な行動をすることもあるが、基本的には臆病で慎重な人間なのである。

だが、この間、同乗したドライバー、ミスター・無鉄砲は、私とは、思考回路を異にしていた。

(ちなみに、このミスター・無鉄砲、山の中にいるときは、人を率いているときは、何重にも安全へのプロテクションを重ね、そりゃお見事な、「石橋を100回叩いて渡る」ほどの安全重視派、という前提の元、下の「まさか」話につながります)



「あ、やべぇ。ガス入れるの忘れた」

朝から丸一日、山で動いた後、素朴な温泉で温まり、すっかりリラックスモードになっていた。さあ、頑張って4時間の道のりを帰ろう、渋滞ないといいねぇ、といいながら、コーヒー買ったコンビニの駐車場で、ミスター・無鉄砲は、最初の不穏な一言をつぶやいた。

「よし」と、さらに独り言を言うと、左折し、車を発進させる。

誰もがガソリンは「もう半分」と考えるに違いない!と思いこんでいた私が、あえて、ミスター・無鉄砲に確認することもなく、「ガソリンが半分くらいなくなって、だから、町に戻って給油して帰るのだろう」と勝手に判断したのも、無理はあるまい。

だって、そこから、次のガソリンスタンドがありそうな街までは、くねくねと、街灯もない真っ暗な裏道を数十キロ、山越え、なのだから。

ところが、道はどんどん登って、どんどん細く、どんどん寂しい風景へと変化していく。

「???ねえ?どこ向かってるの?ガソリンスタンド、この先にあるの??」

「ないよ。街は逆方向だもん」と、無鉄砲男。

ええっっと、ガソリンはあとどのくらい?と、運転席を覗き込むと、


げっ、半分どころか、Eランプついてるじゃーん。


そう、このミスター・無鉄砲は、あろうことか、「エンプティランプはさっきついたばっかりだから、きっと数十キロ先の小田原まで大丈夫。だって、街へ戻る道、混んでたし、面倒くさいじゃん?きっと大丈夫~」

と、判断していたのだ。慎重派の私からしたら、まさか!、な、脳天気で楽天的な判断じゃないだろうか。

こんな真っ暗な、人気のない道で、車止まったらどうすんの。
私、明日用事あるし、ヒッチハイクして、ひとりで帰るからね。

と、私の冷たい視線と重い空気をようやく察し、

あ、もしかして、ヤバイ?

と判断した(かもしれない)彼は、

BGMもエアコンも、「余計なガス使うといけないから」と消し、
無駄話もやめ、
姿勢を正し、
ハンドルを10時10分の位置にきっちり持ち替え、

なるべくアクセル踏み込まないように、そろりそろりと進み続ける。

途中、登り坂が続いたり、
エンジン音が、ふっっっ・・・と軽くなるたびに、寿命を縮ませ、

いやいや、「何事もイメージトレーニングが大切だから。ガソリンスタンドでほっとしている姿を想像するんだ!」と、それぞれの脳裏にその姿を一生懸命思い描きながら、

極度の緊張感漂う車は、
遙か遠くの街明かりを眺めながら

野を越え
山を越え
峠を越え

もういい加減

コンビニで買ったものの手つかずのコーヒーがアイスコーヒーかと思うくらいに冷め切って
寿命が1時間くらい短くなって、
胃に穴が開きそうに気持ち悪くなった頃、

天国の明かりが・・・またの名を、ガソリンスタンドが、箱根の山奥に現れ、ふたり、固い握手でその出現と自分たちの無事を喜び合ったのだった・・・。



後で詳しい人に聞いたら「高速のサービスエリアが50キロごとだから、エンプティランプがついてから、そのくらいは走るようにできているよ」と聞き、

なああああああんだ、あんなに心配する必要なかったのか、と安心したが



今回の教訓は、

「エンプティランプは怖くない」


・・・じゃなくて、

「今後、、ミスター・無鉄砲の車に乗るときには、出発前のガスチェックを絶対に忘れないこと」



「もうダメダメダメ無理無理無理、と思っても、そこからの底力は意外にあるものなので、何事も、早々に諦めず、希望を持って進むこと!」

という、

どこかの、安い人生教訓本にでてきそうな、超ポジティブ思考な人生論、で、まとめておきたい。

2008-11-12

世の中を美しくする仕事

安曇野の後は、駒ヶ根まで出かけてきた。どうも、すっかり長野づいている、この秋。紅葉も終わりかけででも雪山にはなっていない、この中途半端な季節にわざわざ出かけたのは、もうすぐ日本を発ってしまう大切な友達に会いにいったのだ。

クマを見たいとか、100キロ歩きたいとか、山を走りたいとか、私の突飛な思いつきに、「いいねぇ!やろうやろう!」と、いつも笑顔で賛同してくれる、数少ない友達・・・彼女は、年明けから2年間、日本を離れ、遠い赤道直下の、大きなミカンの名前みたいな国で、エイズ対策のために頑張ることにした、と言う。


最近、「世の中を美しくする仕事」ということばに出会って、ハッとしたが、

安曇野で出会った人たちも、
この彼女も、

いい仕事している人たちは、
横で見ていても、美しい。



そして
我が身を振り返れ!





▲世の中を美しくする、おばあさんの話。
 絵本って、なかなかどうして、あなどれない~

くすぐったい主役の日

安曇野編、最後です。



小さい頃、誕生日が・・・、いや、誕生「会」が、大好きだった。大切な友達を呼んで、おかあさんが美味しいご飯とケーキを作ってくれて、日頃は麦茶なのにこの日だけはジュース飲んでもよくて、食卓を囲んだ友達が、かわいらしい包みのプレゼントをくれて。その日ずーーっと、私が主役。たくさんの人が笑顔でおめでとう、と言ってくれる、嬉しく、くすぐったい、うふふふふ、な日。

「誕生日プレゼントをもらうのか誕生日会をするのか、どちらかにしなさい」という親からの二者択一命令のもと、たいがいは、誕生日会を選択していたのは、親の仕事柄、1,2年で転校していたため、「いつかは別れ行く」友達と過ごす時間が愛おしかったのかなあ、と、今となっては思う。

まあ、何にしろ、コドモの頃は、誕生日とクリスマスと正月は、1年のなかでも大興奮な「ハレ」の日だった。(・・・あ、今も?)


そんな嬉しい気分を、久々に思い出させてくれたのが、安曇野の森の幼稚園。私が立ち寄ったその日その時間は、ちょうど、「誕生日会」が開催されるところだったのだ。




この日の舞台は、枯れ葉広がる森の中。みんなが丸く座り、主役の台には、きちんとアイロンで折り目がつけられたテーブルクロスが引かれ、花が飾られている。

奥で隠れていた主役の女の子は、布キレをマント代わりに肩から羽織って、準備万端。金と銀の折り紙でできた冠を被った、月の妖精と星の妖精に手を引かれ、みんなを見渡す主役の席へ着席。

月と星の妖精から、みんなのメッセージが書かれた色紙をプレゼントされた後、

隣にお母さんが座って、この女の子の4年間の歴史を、写真紙芝居ふうに、みんなに説明してくれる。「11月x日、xxxgの大きな赤ちゃんで産まれてきて」「xヶ月で、もうお話するようになったのよ」・・・。自分が育っていくその紙芝居を見ながら、女の子は、くすぐったげな表情で、お母さんを見上げ、みんなを見渡す。

次に出てきたお父さんは、女の子の横で、「1日先生」役。得意の切り紙で、ハロウィンに出てくる、カボチャやコウモリやガイコツを、魔法のように、あっという間に切っていき、みんなをおもてなし。女の子は、自慢のお父さんをみんなにも知ってもらえて嬉しいなあ、と得意げな様子で見守っている。



そう、この誕生日会がすごいのは、ケーキもプレゼントも飾りも、お金かかったものなんて、何ひとつなかった。それなのに、この日主役の4歳の女の子にとっては、きっと、どんなにお金かかった煌びやかな贈り物を差し出しても叶わない、幸せ溢れる日だったろう、ってことだ。


先生、友達、そして両親の愛情がプレゼントとして溢れていた、この幸せな誕生会は、大人になっても忘れずに覚えているんだろうなあ。彼女のキラキラ輝く表情から発せられる幸せな空気を、横からまともに吸い込んでしまった私は、しばらく動けず、一緒になって、うふふと嬉しくなっていたのだった。






そういえば、密かな愛読漫画も、この、ふわふわ幸せな世界観。

2008-11-11

森のなかで育つ

ここ、入園したい!思える幼稚園に出会った。

こんな場所で、暑い夏の日も寒い冬の日も雨の日も風の日も、毎日毎日過ごせる園児たちがは、どんな感受性をもった大人に育っていくのだろう???



・場所は安曇野の高原、広葉樹の森の中

・雨がふったら、大きな青色タープを張る、(・・・が、コドモたちはレインギアに長靴で、雨なんてお構いなしに遊び回っている。)

・園舎はない

・おもちゃもない

・が、木からつり下げられたブランコあり

・それに、小さなツリーハウスあり。が、ハシゴはなく、ロープが下がっているだけ。工夫して登る知恵と体力が要求される

・トイレは落ち葉を利用したコンポスト

・お昼ご飯は焚き火でつくる


--- 野外保育 森の子



いいなあああああ。

ひとあし早く、クリスマスの贈り物



安曇野は、たくさんのアーティストが移住してきている街で、その作品を見に行きたかった、というのが今回訪れた大きな理由のひとつだったが、


そのひとつ、長閑な河原の、ボロな掘っ立て小屋で開催されていた写真展は、とても暖かい空気が満ちていて、・・・カッチョイイ新宿や銀座の高層ビルのなかで見る、ツンと気取っていてクールな写真たちとは、ひと味違う・・・、素朴さ全開、ココロにすとーんと響くエネルギーで満ちている写真たち。ああ、この、木のざわめきが鳥の鳴き声が小川のせせらぎがBGMとして聞こえてくるこの場所で、この作品に出会えてよかった、と思ったのだった。


で、その作品のひとつに、こんなような言葉が添えてあったのです。


「小さい頃、親から一本の木の苗をプレゼントされた。そのときは、木なんかより、野球のグローブのほうがいいのに、と恨んだものだが、今、大きく立派に成長した木をみて、ああ、あのときのプレゼントが木でよかった、と思う」、とかいうような。




早くもクリスマス商戦始まった、カナダのアウトドア用品店から送られてきたニュースレターを眺めていたら、ふと、あの写真を思い出したのだった。

--- Canadian Parks And Wilderness Society

ぱかっ、とふたつに

「長野人は、手で林檎を半分に割れるんだよ」

って、ホントですか。



安曇野を案内してくれたその人は、そういって、「これは、近所の人が作った林檎」と、ポケットの中から当たり前のように青く小振りな林檎を取り出し、(って、ポケットの中に普通林檎をいれておくものでしょうか?)

ぱかっ

と、手品のように、本当にきれいに真っ二つに割って、差し出してくれた。


酸っぱくて
じんわりと優しく甘い
それはそれは
美味しい美味しい林檎で

味覚を押さえられた私は、この瞬間、タチドコロに、安曇野ファン決定。

2008-11-10

冬じたく

冬が
こんにちは、と
挨拶がてら通り過ぎた。



冷たい風が私の頬を撫でていった日、そうかそうか、いつまでも夏気分で素足にサンダル履いてる場合ではないのね、と気づき、冬支度。

家でも山でも必須のダウンジャケットと、冬用のブーツをクローゼットの奥からとり出し

ペルー・クスコの道端で、商売上手なオヤジに40ソル(=1300円)で押しつけられた「リャマの絵柄が描かれた、オヤジ曰わく「100%アルパカ。アタタカ。」(*注* アルパカは、カシミアより高級でふわふわの毛。こんなに安いわけがないです)な敷物」を、ソファーの上に広げ

暖房は、壁についている床暖房のスイッチを、on!、で終了。




安曇野の人たちも、
冬だ冬だ冬支度だ、と、
忙しそうだったが、それは、

干し柿にするために、昨日もいだ柿を、今日中に200個皮剥きしなくちゃいけないんだよね、とか、

煙突掃除と来年4月まで使うに十分な薪割りをしなくちゃ、とか、

野沢菜漬けをつくるのに、小川で野沢菜を洗うのだが、その川の温度は14度と年中一緒だから、冬は意外に温かいんだよ、とか、

なんか、私のそれよりも、ずっと、タダシく大変で楽しそうな「冬支度」で、そのソワソワとした様子が、何だか羨ましいのだった。

2008-11-06

安曇野の神様たち



安曇野の村には、街角に道祖神が立っている、というのは知識としては知っていたが、

山やスキーの帰りに、車で足早に通り過ぎるだけでなく、ゆっくりと自分の足で歩いてみたら、ようやく分かった。

この村には、本当に、たくさんの「神様」が住んでいる。
だって、滞在中、

静かで
穏やかで
温かく満たされた気分を


何度も何度も味わったのだもの。



その気分は、
ただの通りすがりの私なのに

新米のお握りや
根菜いっぱいの味噌汁や
わさび漬けや
虫の食った美味しい野菜や
手のぬくもりで温くなった酸っぱ甘い林檎を

村の人から差し出された、という、「もらった」事実からだけでは、決してない!


(この章つづく)

水玉模様の青梗菜


自分が、どうしようもない都会育ちだな、と実感させられるのは、

ネギや
大根や
蕪や
人参や
柿や
林檎や、らが

スーパーマーケットの蛍光灯の下でキラキラと行儀良く並んでいるのではなく、大地からニョキニョキと生えているのをみて、

おおおおおぉぉぉ、と、心動いてしまう、あたりだ。

野菜は、100円玉数枚で交換するモノじゃない。
土と水と太陽からの贈り物、だ。

なんて、当たり前のことに今更気づき感動して

畑をぼおっと見ていたら、
畑の主が、
大根と
水菜と
青梗菜を

持たせてくれた。

家に帰り、
穴がポコポコ開いている青梗菜の葉っぱを茹でながら、
穴の開いた葉っぱって、久しく見ていない・・・というまた驚愕の事実に気づき、

虫も美味しいと言って食べたこの葉っぱを
しみじみと嬉しく味わう夜だった。


先日、日本の、素敵な里山を再発見。

26.2マイル先の青い箱


2008チャレンジシリーズ、第?騨レポート。

「ご褒美はティファニーの青い箱」を書いたのは・・・、もう半年前。そう、サンフランシスコで行われる「Nike Women's Marathon」への挑戦状。ゴールしたら、メダルならぬ、女の子が大好きな、ティファニーのネックレスをもらえる、というマラソン大会。

アメリカのなかでも人気ある大会で、申し込み多いらしく、クジ運ない私が通るわけないよね・・・、と高をくくっていたのに、何故やら、東京マラソンを超すであろう高倍率を見事に勝ち抜き、「congratulation! マラソン参加権当選です。おめでとう~」のメールを受け取ってしまっていた。ので、


ううううう、42キロ・・・、と、自分の浅はかさを恨みつつ、サンフランシスコで、10月19日の朝を迎えた。


アスファルトをちゃんと走ったのは、ハーフマラソンまで、その先の21キロは未知の世界、という初めてのフルマラソン挑戦だというのに、夏の間の長い旅疲れと、久々の都会生活疲れ・・・というexcuseのもと、大したトレーニングもしないままこの日を迎えていた私は、

こんなフザけた態度の怠け者には、マラソンの神様が「なめるんじゃないよ」と、そっぽを向いてしまうよなあ、いったい自分の体力貯金でどこまで走れるのやら、足、故障したらどうしようか・・・と、走る前は、かなり弱気になっていたが、

いや、実際、30キロ過ぎたあたりから、両足フトモモが、「これ以上はもう勘弁してください。お願いしますぅぅ~」と全面ストライキに入りそうになるのを、なだめすかしながら、ヨタヨタと歩くスピードで走っていたわけなのだけれど、

ゴールデンゲートブリッジやら
高級住宅街やら
ひたすら続く太平洋やら、と、
変わりゆく飽きない景色に助けられ、

数時間後(=マラソンやっている人からは、それはマラソンタイムじゃない、と鼻で笑われるくらいの「数」時間後、)、無事、黒服タキシードのお兄様から、ご褒美をもらうことができたのだった。

もう、ブランド信仰なんて、遙かかなたの昔話だと思っていたのに、ティファニーの 青い箱は、やっぱりうれしかったです。それが「フルマラソンを走った」充実感の証なのか、「ティファニー」だからなのかは分からないけれど。

次は、ちゃんと目標時間決めて、トレーニングしてから、走り直すことにしよう。いい大会(=楽しい気分になれて、涼しい気候で、景色がよい大会)あったら、教えてください!

それから、数年前の私と同じように、「えぇ、走るのだけはイヤイヤ」、と思う人は多いだろうけれど、でも、マラソンのこの魅力は、意外に楽しいものだよ、と、お節介ながら加えておきます。

蛇足

慣れないマイル表示に、「ええっと、6マイル通過ってことは、掛ける1.6で・・・10キロ弱ってこと??ってことは、55分というのは・・・このペースでいいのかな・・・」と、酸素足りてない頭で必死に掛け算しなくてはいけないのが、計算外だった。ちなみに、42.195キロは、26.2マイルです。いつも思うが、分かりづらい、アメリカの度量衡。