2009-06-20

波間に浮かぶ1枚の羽(知床expedition#1)



十数年ぶりに上陸した北海道。

・・・ではあったが、今回は、札幌ラーメンにもスープカレーにも、めぼしい観光地には一つも目もくれず、ずっと、どんより低い雲立ちこめる無彩色のオホーツク海に頼りなげに浮いていた。北海道を何もみていないような、でも、北海道の全てを凝縮して体験したような、1週間の旅。知床岬、シーカヤックキャンプ。


シーカヤックという移動手段を使い、日帰りでない旅するのは、初めてだ。

少しでも波立つと、「ひゃー、こりゃ嵐だ嵐だ、大変だよ」と内心びくびくしながら、それでも漕ぎ続け、自分の力で進むしかないシーカヤックは、しかし慣れてくると、陸を歩いていては見られない、海水面ぎりぎりから時速5キロで移りゆく、独特の景色を楽しめるようになる。


海中は、紫の蛍光色に光るクラゲ楽園。トロリとした漆黒の海にパドルを入れながら、その先の海面にフワリと落ちているカモメの羽をみつける。自分の乗るシーカヤックも、気まぐれな風と波に遊ばれるこの羽と同じくらいの頼りなさと小ささだと思い知らされ、ふぅ、と背中に緊張感が走る。

WFR(ウィルダネス・ファースト・リスポンダー)の講習で習う「ウィルダネス」の定義は、「病院機関までの搬送に2時間以上かかること」だが、その定義に従えば、今回訪れた知床岬は、日本に残された数少ないウィルダネス、な場所だった(地元漁師が使う浜辺の「番屋」や、沖を往来している観光船「オーロラ号」は、見ないふりをして)。

ウィルダネスを旅するときの、

出発時、車を降りた瞬間から旅が終わるまで、どんなに楽しくても決してなくなることのない一筋の緊張感や、
その緊張感とともに存在する圧倒的な開放感、
食べる、眠る、移動する、という欲求に従うだけのシンプルで明快な時間、

を、久々にギュゥゥと味わってきた。(しかもまさかの日本で!)



いつも遊んでいる東京の友人たちが上品に思えるほどに、荒削りでやんちゃで逞しい北海道の男(一部女)たちに混じっての北海道旅より、

無事、生還。

3 comments:

らぐじ~ said...

おお、カヤックで半島の沿岸を。どんなコースだったのか、興味あるなぁ。
私はモチロン観光船で行きました。

Erica said...

シーカヤックって、時速5キロくらいなんですね。陸を歩くとのほぼ同じくらいなんだ~。それはじっくり景色を眺めら、感じられますね。
知床でオホーツク海に浮かぶってどんな感じなんだろう。夏のツアーに準備万端ですね。

この夏、ほんの3日だけど野付半島を一人で車で回ってみようと思っています。
運転上手じゃないから、私にはシーカヤックと同レベルの難易度かも。ウィルダネスじゃないけど。

くぼっち said...

「・・・トロリとした漆黒の海にパドルを入れながら、その先の海面にフワリと落ちているカモメの羽をみつける。自分の乗るシーカヤックも、気まぐれな風と波に遊ばれるこの羽と同じくらいの頼りなさと小ささだと思い知らされ、ふぅ、と背中に緊張感が走る・・・」


上の文章、「トロリ」「フワリ」としっかり韻を踏んでいて、なおかつカヤックとカモメの羽、海とカヤックというフラクタルのような大小の対比イメージ、そして何よりも海面にパドルを入れる感覚を「トロリ」と表現するのは、実際にカヤックを漕ぎ、かつ繊細な感覚のある人でないと書けません。アラスカ、本当に行きたいなぁ。