2009-09-25

人は20時間走り続けると瞑想状態に突入する(信越五岳トレイルレース100K)




2009チャレンジシリーズ:「100キロ走る」

第一回 信越五岳トレイルランニングレース
移動距離  :100km(→東京から熱海の先くらいまで)
累積標高差 :4650m(→富士山五合目から頂上までを3回分ちょっと)
制限時間 :22時間(途中関門3カ所。朝5時半スタートの翌朝3時半まで)

山の趣味も走る趣味もない、至って冷静で常識的な家族友人一同からは、「100キロ?は?」「物好き」「ば~か」と言われるのが明白だったので、今回はあまり事前に周りに言いふらすこともなく、さらに、直前まで忙しかったので、サポーターもアシストもぺーサーもなしで、一人寂しく出かけることとなった、このレース。


結果

20時間3分(も)かけて、ゴールを踏みました。


石川弘樹氏はじめ、主催者の情熱がひしひしと伝わる場面の数々、宿の人、周囲の人、地元の人の暖かな応援、一緒に走ったトレラン仲間たちの存在の大きさ。たくさんたくさんフォーカスしたいことはあるけれど、さすがに20時間も走り続けることは初めてだった、その自分の心の動きに絞って、今回は書いていこうと思います。(かなり長文)



2年前の春、OXFAMトレイルウォーカーのイベントで100キロを歩き通し、さらにフルマラソンやら、70キロのマラニックやらに出て、次の目標を「100キロのトレイル」に定めたのは、私のなかでは、自然な流れだった。

人は「どうしてそんなM気の強いことをやるのだ」と言うけれど、

ちょっと前までの自分なら「絶対に考えもしない無理なこと」が、「もしかしたらできるかも」「お、できた」と、少しずつ自分の限界値をあげていく心地よさ。体験から生まれる絶対的な自信は、自分を強くさせていってくれる。何より、ひとつ高みに上がることで、今まで見えなかった、より遠くの地平線が見え、目の前に広がる景色は、より深みを持ってくる。


だから、今度は、100キロのゴール地点に広がっている地平線がみたかった。ロードを走る、いわゆる「ウルトラマラソン」でなく、トレイルを選んだのは、森の中にいるほうが圧倒的に心地いいから。多くの時間を費やすその舞台は、自然の中にいるほうが、いい。

と半年前にはそう思って申込みしたものの、夏は、私の最近の一番大きな柱である「極北」に時間を費やすシーズンだ。大きな仕事3本と、その間にふらふらと旅をしていて、気づいてみれば、8月も9月も、月に数回十数キロずつ、と、そりゃ笑えるほどに、全然走り込めていないのだった。

走れないままに大会2日前に帰国する、という圧倒的な準備不足に加え、さらに、直前、30キロの荷物背負って山を歩いていたら、左踵を痛め、歩くのにさえ違和感がある。テーピングで応急処置はしたものの、ああ、大丈夫なんだろうか、こんな状態で、100キロも走れるのか私、と、かなり弱気な状態で、スタート地点に立った。

準備不足な弱気な自分を励ましたのは、「どうやったって死ぬことはない」という開き直り、か。

極北の原野で、たとえ数日でもひとり夜を過ごしていると、自然の条件如何では、命かかっているよな、今、というピリピリした緊張感がずっと抜けないが、レースは違う。トレイルとはいえ、コースアウトの心配はほとんどないし、ちゃんと身体からのメッセージを受け取りつづければ、必ずゴールにはたどり着ける、という安心感。100キロ、たった22時間の集中力と持続力と、自分を信じ切る諦めない力、それらを私は持っている、という根拠のない精神的な自信が、「大丈夫」と、肉体的に不安な私をなだめる。



朝5時半、小雨ぱらつくなか、ようやく明けてきた空の下、ぷぉ~ん、というラッパの合図とともに、100キロの旅は始まった。




長いレースも山道も、いきなりゴールを考えてはいけない。遙か遠くにありすぎて、気分悪くなるから。考えるのは、次のエイド、次の休憩地点まで、がいい。というのが、最近わかってきた。十数キロ、2-3時間なら、集中力も保てる、自分なりのルール。

レース独特の興奮からか、足の痛みはそれほど感じず、それよりも、今回のルートはあまり山頂を踏むものではなく、峠や尾根をぬって走っている、そのなだらかで気持ちよいシングルトラックに、嬉しくて夢中になりながら、楽しい気分で走っていたのだ。

明けゆくピンク色の空と遠くの山の稜線、
さわさわと太陽の光を嬉しそうに受けて揺れるススキ野原、
あと2、3週間で紅葉進んで黄金色のトレイルになるね、というカラマツ林、
アラスカとは大違いの巨木に育った「ドイツトウヒ」の静かな森、
斜度が微妙についていて、重力が私の足の運びを助けてくれる長い長い緩やかな下り坂、
沢沿いの瑞々しい苔がついた岩岩の間といきなり現れる樹齢数百年の巨木、
一人きりで走っているときに(→参加者500人なので前後誰もいなくなることが多い)ばったり出くわした野生の猿、
アラスカの鮭がRED GOLDなら、日本の場合はYELLOW GOLDのこのライステラスだねぇ、と、ため息ついた稲刈り前の田んぼ、


本当は、長くて辛い、林道砂利道上り坂、もあったはずなのだけれど、数日経た今思い出すのは、決して飽きることのない、長野と新潟の里山の美しさ。快調に足は進み、第一関門、52キロ地点は、出発7時間20分後に着いていて、あれ、このままいけば、結構いい線で走り終えるかも?くらいの、調子に乗って自惚ぼれがでてきた、そう、その直後に。


足を木の根っこに躓かせ(今思えば、疲れてきて足が上がっていなかったに違いない)、右足小指をしたたかに打った。その痛さといえば、「リビングで足小指をイスにぶつけて飛び上がる」、誰もが知っている、あの、キーンという痛さ。見てはいないが、爪が割れたような、嫌な感触を靴の中で感じる。


困ったことに、下り坂で、靴と爪が当たる度に、その、「キーーーーーン!」な痛みが脳内を駆けめぐる。その度に、ひょぅぅぅ、と深呼吸をしながら、思うスピード出せず、それでも小走りに進んでいくと、今度は右足を庇って無理に力をかけ続けた左膝が、ああ、私もうダメです、限界です、もともと踵痛かったんですし、と悲鳴を上げてきた。

次の第二関門、66キロ地点へは、14キロ進むのになんと2時間40分もかけ、右足のキーンと左足の悲鳴を無理やり押さえ込みながら、午後3時半に到着した。

着替えも食糧補給も後回し、ファーストエイドのテントに飛び込む。手当してくれた医師に、「もし続けるなら、ここから先は、上りはまだいいけれど、下りは「絶対に!!」走ってはいけません。今後走れなくなりますよ。あと34キロ、歩いても8時間あれば到着します。ゴール地点まではまだ12時間近くあるから、制限時間は大丈夫。歩くと約束するなら、行きなさい」と強い調子で言われた。

言われるまでもなく、もう、足は、走れるような状態ではなかったので、約束は守らざるをえない。

あとは、「ひとり走るのをやめて、たくさんの人に抜かされながら歩くのは屈辱ではない?」「最後10キロ地点で待ち受ける飯綱山登山。標高差600Mの急坂を登って、しかも降りる!ルートは、この足でできる?」「34キロって、走るのはいい距離だけれど、歩くのは相当長く感じるよ?」と、0.3秒くらい逡巡したが

一度決めたらやり抜くのがオンナでしょうー、
よし、34キロ歩こう、夜中3時半まであと12時間歩いてみせよう、

と、決めたのだった。ここ、第二関門は、自分の荷物を袋一つ分預けておけるドロップ地点だったので、夜の服に着替え、靴下も履き替えて気分を入れ替え、天気予報を考えてウインドブレーカーを雨具に持ち直し、入れておいたグレープフルーツジュースを飲み、温かいスープを飲んで、午後4時10分、出発した。

そこから先は、これまで66キロ走ってきた全身の疲れと、徐々に夜に向かって暗くなっていく心細さのなか、気持ちはずんずん沈んでいく。今までのの半分しか出せないスピードへの敗北感と、絶え間なく抜かれ続ける悔しさと、相変わらず靴が当たる度に脳にキーーーンと響く痛さとで、ふぇふぇと泣きながら、なかなか辿り着かない15キロ先の次のエイド地点(81K)までを、それでも、一歩ずつ進めば必ず辿り着くのだから、と、歩き続けた。

さらにその先9キロは、本当なら「時間を稼ぐ」はずのフラットな区間で、より多くの人に追い抜かれていく。皆、熊よけの鈴携帯が義務づけられていたので、5分、10分おきに、遠く後ろから、リンリンリンという音が聞こえてきて、その音はまた私の前方の闇へ消えていく。

最初は、鈴の音を聞く度にイヤになっていたのだけれど、途中、戸隠奥社の、しんと静まりかえった真っ暗な参道を歩いているうちに、疲れも痛さも悔しさもこの後に待ち受けるルートも頭から離れていき、いつのまにか、不思議と静かな気持ちになって、穏やかな時間がやってきた。神社という場がもつ神聖な「力」がそうさせたのかもしれないし、ただ単に、考えるのも疲れ果ててしまっただけなのかもしれない。でも、意識を飛び越したような、なんとも不思議な、静かな、しん、とした時間だった。

そして心穏やかに迎えた90キロ地点の第三関門通過は、21時20分。

ここからゴールまでの最後10キロは、このコースの核心で、最後の最後に、一番の山登りが待ち受けている。それなのに、非情な雨が降ってくるわ、霧がかかって視界3Mしかないわ、足下の岩場ガレ場はツルツル滑るわ、こんなルート歩きたくないと足は断末魔の悲鳴を上げているわ、

何の呪いなんだろう、いったい何の修行してるんだろう私は、と、また現実に戻り、ふぇふぇ泣いて、ずるずる鼻水たらしながら、長い長い山登り(降り)をしたのだ。10キロ進むのに、まさかの4時間かかった、あの辛い時間は、正直、今年1番のチャレンジだった、というくらい。

でも、すべてに終わりはくるもので、
夜中1時33分、100キロ地点にたどり着いた。
順位はもうどうでもいいけれど、269番目に。

20時間ぶりに、もう足を前に出さなくていい事実に戸惑っていたら、友達のヨーコちゃんが、おめでとう、と、笑顔で迎えてくれて、夜中2時、ふたりで、気の抜けたコーラで乾杯をした。


100キロ地点から見えた真夜中の地平線は、喜びや達成感というよりも、むしろ終わったという安堵感で、

着いたと思った頂上は、また蜃気楼のように消え去って、何かを掴んだのか、いや何も掴んでいないのか、私が目指していた頂上は、まだまだ先にあるようなのだった・・・。

8 comments:

こたに said...

おつかれさま〜、すごすぎます。100キロって距離だけでもすごいのに、トレイルっていうのが何倍もすごい。34キロ歩くっていうのも、すごすぎます。しかも雨ですか?? お疲れさまでした。
まだまだすごい世界があるのだなあと口あんぐりな私です(すごいすごい言い過ぎ、苦笑)。
まだまだ先になりそうですが、ちょっとずつでも近づきたいと思います。また連絡させてもらいますね! とにかく爪はお大事に!!!!

白くま said...

苦しくて楽しい時間でしたねー。
僕もいつも次のエイドまでを目標に走ってます。走れるコースだけに後ろめたさを感じることなく休めるエイドは天国のようでしたね(笑)
小指、お大事にー。
また筋トレ祭りで鍛えて、来年思い切り走りましょう!

らぐじ~ said...

いや~、相変わらずバケものだ。
ケガしてなけりゃ、15時間ぐらいで走り切ってたような勢いですな。

私なんて、ケガしなくても5kmも走れば、膝が悲鳴を上げますよ。

hisabon said...

完走おめでとうございます。^^

僕も同じ夜の闇の中を一人ヘッドライトの明かりだけを頼りに歩いたり、走ったりしてました。

途中の山道ではすべって谷に落ちたり、すり足で走る足を石にぶつけ思い切り泣いたり^^(両爪とも折角黒ずみが治ってきたのにまたやってしまいました)

でも素晴らしいトレイルレースでしたね。
18時間27分で僕のレースは終了しました。このレースにかけて2ヶ月くらい練習をしてきたので、どうにか足も持ち少し満足、あとは足りないところがわかったのでまた次のレース(未定ですが^^、2度目の河口湖もいいかなって思っています)に向けて、頑張ろうと思っています。

長い距離を走ると自分自身について考える機会が大いにありますね。

走り終わったあと、まさにゴールは新たなスタートですね。

どこかの大会で会えましたらよろしくお願いします。

auroraneko said...

すごっ。

今度はYukon River Questでもいかがですか~。

auroraneko said...

極北のレース調べてみました。

いつか行って走ってみたいと思っていたんですが、残念がなら1998年からなくなってしまったようです。

Arctic BayからNanisivik鉱山までのレースです。

http://maps.google.ca/maps?f=d&source=s_d&saddr=Arctic+Bay&daddr=Nanisivik&hl=en&geocode=&mra=ls&dirflg=w&sll=73.035419,-85.005341&sspn=0.357025,2.113495&ie=UTF8&ll=73.043431,-85.0383&spn=0.356861,2.113495&t=h&z=10

2000年にはウルトラ・マラソンが開催された模様です。
http://www.coolrunning.com/results/00/canada/Jul2_Nunavu_set1.shtml

Ryoko Betty, Aosaki said...

>auroranekoさん

ひゃー、ゴールよりも、まずはスタート地点にたどり着くまでのハードル相当高いけれど、「極北+走る」なんて、大興奮なイベントあるのですなぁ。

毎年ユーコンにいくと、ちょうど「SKAGWAY-WHITEHORSEリレー」の開催日で、いいな、と指をくわえて見ているのですが・・・来年ツアーのオプションにしようかしら・・・

な said...

来年は、UTMBどうですか?
私出る予定です。