2009-10-30

大自然に注がれる幸せなシャワー (ヨセミテ#4)

▲ from Southside Drive, Yosemite NP, USA


都内を電車に揺られて    2時間。
飛行機で映画2本みて    8時間。
BartでSFOの対岸の町へ  1時間。
AMTRAK鉄道にまた揺られ3時間。
山道をYARTのバスで進む 2.5時間。

ヨセミテ渓谷の松林のなかにあるキャンプ場へ到着したのは、時差16時間を飛び越し、16.5時間(プラス待ち時間たくさん)の移動時間を経た、真っ暗闇の夜9時。

PETZLのヘッドライトの頼りない明かりで到着したわたしに、隣のサイトの親切なおじさんが、見かねて強力ランタンを貸してくれた。心強いくっきりとした明かりの中でテントを立てる。夕食も早々に、疲れたからだを、久々に水平180度に横たえ、眠りにつく。


翌朝。

天気予報が告げていたとおり、テントのフライを勢いよくはじく雨音で目が覚める。「太陽が似合うカリフォルニアにおいて、この時期には珍しい大型低気圧が接近、嵐になるでしょう」という天気予報を忠実に守ろうとする空は、水栓の壊れた蛇口のように、絶え間なく大粒の水滴を落とし続ける。

覚悟はしていたものの、こんな遠くまでわざわざやってきたのに、この天気はどうよ、そしてこの天気の中、外で寝ている自分ってどうなのよ、と、不運を嘆いてテントから顔を出してみれば、

昨晩は気づかなかったが、この場所は、森をつくるわずかなな傾斜の一番下に位置しており、土が吸収できるよりも早い勢いで落ち続ける水滴は、低き低きへと川となって渦を巻きながら流れ込み、

・・・言い換えれば、わたしの居場所は、テント床下浸水警報がビービーなっている、まさかの水害地帯の現場なのだった。

という事実を把握するのに0.3秒。
寝ぼけていた頭は瞬時にシャキンと目覚める。

慌てて靴を履き、家(テント)を高台の安全地帯に移動すべく作業していると、昨日のランタンおじさんとはまた違う、斜向かいのサイトのおじさまが、おはよう、と、ニコニコしながらやってきて、雨で濡れるのなんて全く気にせずに、テントを動かし、テントの周りにトレンチ(溝)をつくり、タープを張り直し、という作業を、積極的に手伝ってくれるのだった。

「ようこそヨセミテへ!僕の大好きな場所へ!」

濡れて冷たくなった手足を焚き火で暖めながら話していると、そうか、昨日着いたんだね、ここがはじめてなら、僕が案内してあげよう、と、どこまでも親切なこのカリフォルニア人、Russelは、ガイド役を申し出てくれた。

クライマーの聖地、El Capがよく見える場所で車を降りる。あそこがノーズで、あのクラックがヤバイんだ・・・、足を怪我してからは、岩は登っていないけれど、と、説明してくれる横で、

わたしは、ようやく出会えた(昨晩の到着時は、真っ暗闇で何も周囲を把握できていなかったので、)1000m近く垂直にそびえ立つ、この巨大な岩の威厳に圧倒され、雨に濡れるのも忘れて、口をあんぐりと開けたまま、呆然と岩を見上げる。

「す、すごい・・・」

「ハイシエラのバックカントリーの山を歩き回っている僕は、人で溢れているヨセミテなんて、ってバカにしていた。食わず嫌いでね。ある日、自然なんて興味のない友人が、ヨセミテくらい行ってみたい、というから、しかたないな、つきあってやるか、と本当に久しぶりに来てみたら、ここの美しさに驚いたんだ。

それからは、1年に5-6回はこうやって訪れている。それに今日は僕の誕生日だからね、こういう日は、大好きな、特別な場所で過ごしたかったんだ」


「自然を愛する人と、僕が好きな場所をシェアできるのは、とても嬉しいことだ。さて、とっておきの場所を案内しよう」、ここが一番好きなんだ、と、最後に連れて行ってくれたのは、広い湿原と松林、その奥に、この公園のシンボルである、気高いハーフドームの一枚岩が正面から見えるベンチ。

雨(というか嵐、)だから誰もおらず、(この大人気観光地ヨセミテ渓谷のなかで、「誰もいない」というのは珍しい)、景色は、アンセルアダムスの写真のように色を消し去り白黒モノトーンで、分厚い雲の隙間から、ハーフドームの壁の一部がチラリ見えている。

静かな写真のような風景に、わたしたちは入り込む。時折聞こえるブルージェイ(だろうか?)の鳥の鳴き声で、あ、これは現実、と、意識が戻される。

ベンチでふたり静かに座っていると、ミュールディア(オグロジカ)がどこからともなく現れ、音も出さず、霧がかった湿原を、静かに横切っていく。とても静かで、平和で、すべてが完璧なバランスで成り立っている。地球の美しい芸術作品。



「雨もいいよね。君をここに案内できて、よかったよ」

雨が降っていなければ、ハロー、くらいの挨拶ですれ違っていた人とこうやって時間を過ごせたこと、そしてこれは私の前からの持論だが、初めての場所に足を踏み入れるとき、その場所を強く想っている人に導かれるのが、その場所を知るいちばん良い方法で、だから今回は、Russelにヨセミテの扉を開けてもらえたこと、雨がもたらしてくれた偶然に、感謝した。


が、ほんとうの、雨の恵みを知ることになるのは、これからなのだった。


Rain is just liquid Sunshine。
雨を嫌がらないで。
雨のなか、森にいることは、とても楽しいことなのです。
(ただし、しっかりしたレインギア着用のうえで。)



引用してばかりだけれど。
この人のこの感性、この表現力、実際に山の中で読んでいると、ただただ舌を巻くばかり。

「こんなにもすばらしい大自然の上にそそがれるたくさんの幸せなシャワーは、たまに美しい場所を見つけられない粒もあるが、山々の頂上に、輝く氷河の遊歩道に、森や庭園やモレーンの上に落ち、はねかえって、ぱたぱたと音をたて、洗い流すのだ。

・・・あるものは湖に向かう。さらに、急流の踊りや歌になりたくて、泡をつくりたくて、滝や渓谷に流れるものもある。この幸せな山の雨粒に幸運とよい仕事を与えたい。」

「神に祝福されたそれぞれの粒が、銀色の生まれたばかりの星のように、湖や川に、庭園に木立に、谷に山に殺到し、すべての景色は水晶の深い輝きを反射する。神の使者、愛の天使が威厳をもって送り込み、そして華やかに力を示す。そういったものの前では、人間のもっとも優れたものさえ空しく見える。

今は嵐も終わり、空は澄み渡り、最後の雷鳴が峰の上で聞こえる。さて、雨粒はどこへ行ったのか。あの光る集合体はどうなってしまったのだろうか。崇高に立ちのぼる蒸気は急いで空に戻っていくところだし、あるものは植物にとりかこまれて、まるい細胞の部屋の目に見えないドアを通ってゆっくりと移動している。

氷の結晶に閉じこめられたり、小さな春の花のために浸透性のモレーンのなかに入ったり、海に落ちたもっと大きな雨粒と合流するために川への旅を続けるものある。

泡から泡へ、美しいものから美しいものへ、つねに形を変え、ひとときも休まない。すべてが熱狂的な愛に包まれて流れ、星と共に神の創造物の歌を口ずさむのだ」

1 comment:

らぐじ~ said...

エメリビルからアムトラック乗ったんですか?そういう行き方があるんだなぁ。どこまで乗ればいいんでしょう?

ところで、ラッセルさんに誕生日プレゼント贈りましたか?