2009-12-14

ハチミツを食べる前のほんの一瞬が


▲2007.7  Healy, Alaska または「時間節約装置」がまるでないところ


「正月やクリスマスにゆっくり読むといいですよ」と教えてもらった本を、正月までまだ日がある今日、ぱらりとめくる。しおりの挟んであるちょうどそのページが、これだった。以下、自分用メモ。


「時間節約装置の数々がほんとうに時間を節約したんだったら、いまや歴史上かつてないほど豊富な時間が手に入るようになっていそうなものだ。ところが、奇妙なことに、ほんの数年前と比べてみても時間が少なくなっている感じがする。時間節約装置がまるでないところへ出かけるのは、ほんとうに楽しい。そこでは、時間がたっぷりあることがわかるからだ。・・・

時間節約というこの大脅迫観念の問題点は、きわめて単純だ。時間は節約などできない。使うことしかできないのだ。しかし、賢くも、愚かにも使うことができる。イスガシ・スギカエルに時間はないも同然だ。それを節約しようとして、おおわらわで浪費しているからだ。しかも、わずかな時間まで残らず節約しようとして、結局、丸ごと全部無駄にしてしまう。

ヘンリー・デイビッド・ソローは、『森の生活』において、それをこんなふうに言っている。

--なぜわれわれはそんなにいそいで生き、人生を浪費しなければならないのか?我々は、空腹を感じる前に、餓死すると決めかかっている。早めの一針、九針を省く、というが、かれらは明日の九針を節約しようと、今日一千針縫うのだ--」



「「世界中でいちばん好きなことってなんだい?プー」
「えーと」と、プーはいい、「いちばん好きなのは・・・」といいかけて、そこで止まって考えてしまった。なぜって、ハチミツを食べることはとてもいいことだったが、食べはじめる前のほんの一瞬があって、そのときは食べているときよりも素敵だった。それをどういったらいいのかわからないのだ。

ハチミツは食べてしまえば、そんなにおいしいものではない。ゴールは、着いてしまえば、それほど重要なものではない。報酬は、受け取ってしまえば、それほどありがたいものではない。生涯の報酬を全部足したところで、たいしたものにはならないだろう。

でも、報酬と報酬のあいだを足してみれば、ちょっとした結果が出る。さらに、もし報酬とそのあいだを加えるなら、それで全部そろうことになる。一分残らず、ぼくたちが費やす時間だ。それを楽しむことができたら、どうだろう?

開いてしまったクリスマスプレゼントは、よくみて、持ち上げて、振って、考えて、それからあけるまでのプロセスで感じていたほど心ときめくものではない。・・・ゴールに着くたびに、それはそれほどおもしろいものではなくなり、ぼくたちは次を、またその次やその次の次を目指すことにする。」

 
(「タオのプーさん」ベンジャミン・ホフ)

1 comment:

kewalos said...

ほんとですねー!効率的に顧客管理するためのシステムのはずが、世界中でデータベースにアクセスするため、遅いし、入力がすごく面倒で、結局のところ、工数削減されてない。。むしろ、自分の仕事が何なのか分からなくなる。。っていうのはよくありますね。

絶対昔の人のほうが本読んでたし、教養もあったと思うし。幸せの感じ方も、プーさんに考えさせられました。