@Stewart, Canada
大地は隆起したり削られたり動いたりしながら形を変えているんだ、山も川も氷河も森も、今、目の前にある景色は、「今」だから見られるんだ、
ってこと、最近、ようやく分かるようになってきたよ。
2008-09-28
Grizzly 舞台裏
@Stewart, Northern B.C.,Canada
一番好きなヒトコマが、この一枚。
このまま続けると、初めてのコドモが可愛くてしかたないデレデレの親バカ、のように、延々と熊観察日記になってしまうので、(・・・熊だけで数百枚の写真がある)、ここで止めておきます。
でも、熊の生態を直に観察できる機会があったなら、誰もが、私のこの熊への愛情を理解してくれることでしょう。動物園ではきっとダメで、野生の動物だけが持つ魅力、というものが、ある。
*
この熊たちに出会うのは、襲われる危険にびくびくすることも、類い希なる強運の持ち主である必要もなく、
・蚊と根気よく戦う根性と、
・いつ出てくるかわからないヤツらを待ち続ける忍耐力と時間
さえあれば、実はすごく簡単で・・・、
舞台裏を明かせば、こんな様子なのでした。
一番好きなヒトコマが、この一枚。
このまま続けると、初めてのコドモが可愛くてしかたないデレデレの親バカ、のように、延々と熊観察日記になってしまうので、(・・・熊だけで数百枚の写真がある)、ここで止めておきます。
でも、熊の生態を直に観察できる機会があったなら、誰もが、私のこの熊への愛情を理解してくれることでしょう。動物園ではきっとダメで、野生の動物だけが持つ魅力、というものが、ある。
*
この熊たちに出会うのは、襲われる危険にびくびくすることも、類い希なる強運の持ち主である必要もなく、
・蚊と根気よく戦う根性と、
・いつ出てくるかわからないヤツらを待ち続ける忍耐力と時間
さえあれば、実はすごく簡単で・・・、
舞台裏を明かせば、こんな様子なのでした。
クイーンシャーロットはどこにあるの?
今日、お台場の風に吹かれてハンモックに揺られながらビールを飲んでいたら、一緒にいた友人から
「クィーンシャーロットってどこにあるの?」
「スチュワートってアラスカ?」
という質問をもらったので、ここでいきなりですが、地理の授業です。
クィーンシャーロット、そしてスチュワート(カナダ)&ハイダ(アラスカ)は、
●カナダの西海岸、太平洋に面した「ブリティッシュコロンビア(B.C.)州」(=バンクーバーのある州)の北部にあり
●この夏滞在していたカナディアンロッキーからは、
地図で見れば目と鼻の先、
地図で見れば目と鼻の先、
グレイハウンドバスで行けば
往復330ドル
または2000キロ
またはバス車内で2泊する長さ
くらいの近さ、というか、遠さで
●その場所に目がいった一番の理由は、大好きなアラスカと大好きなユーコンに接していたからであり
●入り口の町となるPrince Rupertは、アラスカ行きのフェリーが出発する「北への入り口」という役割を持つ鄙びた町で
●大好きなアラスカは、何故か海岸沿いにB.C.州に張り出してビヨーーンと伸びているのだが、このアラスカとB.C.州の境目一帯は、氷河製造大工場コンビナート地帯のため、巨大な氷河をあっちにもこっちにも見ることができ
●動物は
太平洋から川に遡上する鮭とそれを食べる熊がわんさかとおり、
さらに、初夏になるとはるばるメキシコあたりから鯨が北上してきて、
さらにさらに、海底にはウニやカニやヒトデやカイがカラフルにウニョウニョ泳いでいるし
●植物は
雨がどしゃどしゃ降るためシダー(杉)やらスプルース(トウヒ)やファー(樅)がぐんぐん成長して見上げるような大木となり、しかも苔がモサモサと、隙さえあればどこにでも、地面すべてを覆い尽くすかのように生えていて
●すれ違う人といえば
日本人と顔そっくりの先住民のあちらこちらに色濃く、トーテムポールがふとしたところに立っており、
と、あっちをとっても、こっちをとっても、アラスカ好きなら、鼻の穴膨らむ要素満載の場所、が、このあたりです。
では、引き続き、グリズリー三昧の夢のような数日間から、写真つづけます。
2008-09-27
2008-09-26
季節は戻って8月の旅へ
2008-09-25
共に旅した仲間たちへ /Yukon2008
そろそろ今年のユーコン旅の話題も、このへんで終わりにします。
終わりにします、が、旅が終わり10日間、多忙な日常に戻りつつある参加者から、感想が届き始めたので、転載しておきます。それから、ここには載せませんが、他にも、直接メールをくださった方、お手紙をくださった方、ありがとうございました。皆様のその感想が、その感じた「何か」が、多分、この仕事を続けていて私が一番嬉しい・・・やっていてよかったな、と思える瞬間です。ありがとう。
もう、このPCの前に座っているだけで、東京やNYの街角の光景まで覗けてしまうような、無料でテレビ電話ができてしまうような、怖いほどに便利な社会になった今、
地球上に残された、人間が手をつけていない「原野」は、もうほんとに僅かしか残っていなくて、その僅かな一部が、アラスカであり、ユーコンであるのだけれど、 (・・・ユーコンは日本の3倍の広さに人口3万人、だそうです。私が住む東京都中野区は、30万人!おぉぅ。)
その中で感じられる「何か」というのは、果てしなく深く、それは普段、フロントカントリーの生活では忘れている(・・・というか不要な)「何か」であるので、その気づいた「何か」を大切に、今後の人生にとけ込ませ、素敵に楽しんでください。
また機会ありましたら、一緒に北の大地を旅しましょう。
ps
私の今年の「何か」・・・は、「音楽」。
昨日、実家に立ち寄って、20年ぶりに、ピアノの鍵盤に触ってきました。子供の頃、10年以上も習っていながら、先生に怒られての「学ばなくてはいけない」ピアノでなく、楽しいピアノ、と思えたのは、実は初めての体験だったのが、小さい衝撃でした。
「風が吹くと桶屋が儲かる」みたいですが、「ユーコンに行くと音楽に触れたく」なるよ。ホント!
*
カヌーはとてもよかった。川の流れにまかせてゆっくりと進む。漕いで漕いで自らの力で進む。
耳を澄ませば川の流れる音、木のざわめく音、動物の鳴き声などが聞こえる。すごく静かなんだけど、静かだからこそ聞こえる色んな音。大自然の演奏、すっかり聞き入ってしまいました。
そして景色。途中、崖の上からの景色は・・・身体震えました。
っていうかあんなに遠くまで見渡したのは初めて。ユーコンの大河、黄色く染まったアスペンと緑の針葉樹との色合いが絶妙な森、真っ青な青空。それがどこまでも広がって・・・あの景色は絶対忘れません。
何が一番印象に残ったかって言うと
「ユーコンという場所」
です。ガイドのジョー、ジャン、そしてスタッフのりょうこさんもユーコンが大好きで、だからそれがこっちにも伝わってきて。色んな角度でこの地に接することができて楽しかった。そして僕もユーコンが大好きになりました。
「ユーコンが好きになった」
うまく言えませんが僕にとってこの旅を総括するとそんな感じです。
*
ユーコンの、文明の何もない世界で感じたことを大事にし、まだ、余韻が残っています。
日本についたときの、音のうるささ、人工光の多さ、時間の早さ、すべてに、なんで私たちはこんなにも行き急いでいるのだろう・・・そんな思いにかられました。
あの絶景は一生の思い出であり、あの時、五感で感じたことを忘れずに生きていきたい。
今日は、家に帰って、いらないものを一気にトランクにつめたいな。人は何もなくても生きていける。シンプルな生活こそ我を思い出させてくれる。
こんな簡単にしかこの旅を表現できない、自分が悔しいです。
*
当たり前に使っている便利な道具もないし、ガスも電気もないところだけど、そういうものを取り払って丘の上から見た360度のパノラマは圧倒的だけど、なぜか親しく感じられて、
自分はこの中で生きてるんだなあ…、という一体感を持てたことや、そして、そんな体験を共有できる仲間がいるという幸せを噛みしめたこと、
そんなことの積み重ねが、すごく大きな塊になって残っていて、それを言葉にするのが難しいのだけど、言葉にしてしまうのが惜しいという気もします。
カヌーが上手く漕げず、川の上をくるくる回ったこと
寒い中深夜まで焚き火を囲んでオーロラを待ったこと
Joeの歌声、Jeanの手料理、仲間の笑い声、
一つ一つの出来事が今でもふと思い出され、その度に温かい気持ちにしてくれます。 こういう旅に出会えた自分は、本当に幸せ者です。
ずっと優しいまなざしで見守ってくれた Joe
いつも楽しさとおいしさを提供してくれた Jean
一緒に旅をしてくれた Team My Dear の仲間たち
そして、私にユーコンを教えてくれた涼子さんに、
深く感謝致します。
2008-09-23
熊さんどうぞ /Yukon2008
1日漕ぎ疲れてキャンプ場に到着し
重たい荷物を船から降ろし何度も往復してキャンプ場へ運び
カヌーをよっこらせ、とひっくり返し
さあ、今日はどこにテントを張ろうかと
ようやくほっと一息ついたそのときだった。
真新しいdigging(=グリズリーはその長い爪(・・・つまり熊手ですね)を使って土を掘り起こし、中にいる草の根や虫を食べる。diggingはその掘り起こした跡)と
まだホカホカさが伝わってくるような、食べたのはクランベリーだねと簡単に把握できるような糞をみつけてしまったのは。
「6人以上のグループで、熊に襲われたというデータはない。今回は14人もいるんだから気をつければ大丈夫・・・だよね?」という考えが、全員のチラリと頭をよぎったのは事実だ。 認めよう。
・・・だって、もう頭の中は、本日もお疲れ様さあ冷たいビールで乾杯!な気分なのに、もう一度カヌーをヨッコラショとひっくり返し、荷物を詰め直し、疲れた腕に鞭打ってこぎ出すのは、考えるだにやっかいじゃないか・・・、
でも、糞を目の前に、みんなに語ったJoeの言葉は、そんな柔な気分を一気に吹き飛ばしてくれた。
「Into the thin air (邦題:「空へ」)の話を知っているかい?史上最悪のエベレスト登頂後の大人数遭難死亡事故。あのとき、 頂上に立った時点での写真が残っているのだけれど、今みると、背後に、明らかによくない雲がちゃんと映っていて、何でこんな気象条件なのに無理して登ったんだろう、という議論があるんだ。
僕たちは、diggingと糞をみた。しかも真新しい。このサインを見逃してはだめだ。自然に対して謙虚さを忘れ、奢った瞬間に、しっぺ返しはくるもんだ」
私たちは、1時間下流のキャンプ場に移動した。
夜7時半、ようやく、この日の、diggingも糞も、何のbear signも見あたらない、ゆっくり眠れそうな寝床を見つけたのだった。
背中で語る /Yukon2008
ユーコン川の流れのような、ゆったりといつも穏やかなJoeは、気づけばここ、ユーコンに辿り着き、気づけばもう18年も川のガイドをしているという人物で、今回の旅の、私のなかでのメインの一つは、彼との再会だった。
2005年に「右手治してもう一回、今度は秋に戻ってくるので一緒にまた旅してね」と、船の上でかわした約束がようやく果たされることになった今年、少しだけ自分の技術も知識も深めた今年、彼のガイドで旅できることに、半年前から静かに喜んでいた。
パドリングやトレッキングの技術とか
ウィルダネスでのキャンプ技術とか
インタープリテーションに必要な動植物地質地理歴史への知識とか
野外料理の腕とか
焚き火の横で奏でるギターの調べとか、
そんなものが「ガイド」には必要だというならば、身につけている人は探せばいくらでもいるだろうけれど、(いや、Joeはそのどれも文句なしにすごいのだけれど)
彼のように、存在自体が北の大地のような、何も言わずとも、態度で背中でユーコンを体現してしまうような人は少なく、でもそれは、上に挙げたどんな技術よりも大切なポイントだよな、と思うのだ。
以前つくったアラスカ・オーロラの企画、狩人キース爺さんや犬ぞりパット母さんもそうなのだが、北の大地は、「人」が十分に濃いので、この地に根付いている人たちと、どれだけ旅の時間を共有できるかによって、旅の印象は大きく変わる。ぜったいに。
というわけで、今年のユーコンは、Joeの背中を通して、より一層、深い旅となったのだった。
大地の詩 /Yukon2008
「ジュノーの海をカヤックで漕いでキャンプした夜、すぐ近くで鯨たちがブォーっと会話をしていて、その声を聞いたら、何故か涙が頬を伝ったんだよ、理由もなく」
「裸になって川で体を洗っていたら、シカが二頭やってきて、角をカチカチならして喧嘩した。負けた方が、僕のそばにきて、「君は僕の敵?味方?」って聞くんだ。敵じゃないよ、と伝えたら、二頭とも、安心して近くにやってきて、楽しそうに水浴びを始めたんだ。」
*
北のホステルに集まる旅人は、不思議な魅力を持った人が多いけれど、彼もそのひとりだった。クイーンシャーロットから北上を続け、星野道夫のトーテムポール儀式に偶然出席し、ジュノーで鯨と出会い、そしてチルクートトレイルを歩いてきた、彼とは、ホワイトホースの、とても清潔でとてもよいエネルギーの流れているホステルのキッチンで、出会った。
この夏、同じ時期にクイーンシャーロットにいたんだねぇ、と、トーテムポールの話をしたホワイトホースの宿の朝、
Joeのギターに乗せて聴かせてくれた、やわらかな歌声響いた焚き火の夜、
動物とはちゃんと心静かに向き合えば会話できるはず、という意見で一致したユーコン川岸の夕暮れ、
辿る道筋が互いに何度か交差し、街で、川で、少しずつ話をする度に、彼の持っている世界に惹き込まれていった私だが、それというのも、
彼の、世俗離れした雰囲気と、無邪気に、どこまでも穏やかに心の真ん中に直球で入ってくるこの感じは、人間というより、野生の動物に出会ったときのような錯覚をおこさせ、森の動物と会話しているかのような、妙な気分になるためなのだった。
彼、「大地」くんの、これまで歩んできた人生と、夏から続けている北の旅と、ギターの旋律の一部かのような歌声と、旅の途中にクレヨンで描いてきたという絵と、そのどれを見ても聞いても、ああ、本当に深く深く、名前の通り大地と繋がっている人っているんだ・・・、と気づかされ、世俗の匂いぷんぷんしている私何ぞは、ひっくりかえっても彼に敵うわけはなく、
少し悔しく
すごく羨ましく、
でも、森のグリズリーに出会えたときと同じような幸福感を味あわせてもらえたことに感謝しつつ、最後にもらった小さな絵を机の片隅に飾りながら、大地くんの、今も続いているであろう旅の無事を祈るのだ。
2008-09-22
独りより・・・ /Yukon2008
「独りより みんなで感じる 静けさや」
*
今年ののユーコン川下りは、お客さん11人、私、ガイド2人、総勢14名7艘の大チーム。
地球探検隊のお客さんは、基本的に一人旅も厭わない自立した人たちで、それでもあえて今回は楽しくチームで旅したい、という、依存心のない素敵なオトナたちの集まりなので、ツアーとはいえ、いい意味でツアーらしさのない、よい雰囲気だ。
それでも、楽しくわいわいやっていると、どうしても気持ちは自然よりも仲間とのやりとりに向いてしまう。つまりは、楽しい反面、原野ならではの「孤独な静けさ」という醍醐味が半減してしまう、という矛盾点もあるよなあ・・・
と、まあ、ツアー売る人間が、こんなこと言ってはどうかと思うのだが、この場所を知るにつれ、そんな相反した気持ちがチラチラ浮かんでくるのも事実だった。
でも、今回、気持ちを新たにしました。
心の許せる集団での旅は、悪くない。
それに気づかせてくれたのは、一人旅の青年。
一人で川下りをしていた彼と、私たちの行程が、途中かぶり、何度かキャンプ地を共にした。近すぎず遠すぎず、見事なまでに適度な距離感を保ちながら、ゆっくりと近づいてきてくれた彼は、私たちの夕食の時間、少し離れた川岸で、私たちのざわざわとした会話を背中に聞きながら、ビールを飲んでいた。
その後、焚き火の輪に加わったとき、ぽつりともらした感想が、「独りより みんなで感じる 静けさや」 だった。まったく一人きりの夜は、常に何かに緊張していて、心から寛いでいない。皆さんと一緒にいる賑やかな今晩の方が、隣に誰かがいる安心感があって、思い切り静けさを楽しめるんですよ、と。
静けさを楽しみたい、と意識すれば、集団旅行でもその時間をとることは可能だし、逆に集団でいるからこそ、なことも、ある。
俯瞰 /Yukon2008
「川を漕ぐときは、必ずどこかで丘の上に上がって、今まで漕いできた流れ、これから漕ぎ行く流れを見渡すようにしている。」
と、友人がいつだか話していたが、その言葉に従って、現地ガイドに「丘に行きたい丘に行きたい」とリクエスト。ユーコン川をこぎ続けること18年、大ベテランのJoeが連れて行ってくれたたこの崖は、川地図には載っていない、ヒミツヒミツな場所だった。
急斜面を上り詰めること15分、360度ぐるりと見渡す大地は、久々に現れた太陽の光の下でどこもかしこも輝いていて、
道路も線路も建物も電線も橋も護岸壁も、つまりは人間が作り上げた人工物はホントに何も存在していない原野のまっただなかに、自分たちだけがポツンと存在してるのだ、と思い知らせてくれる、
何だか気の遠くなるようなこのユーコンの大きさと翻って自分の小っぽけさを実感させてくれる、
そして視覚も聴覚も触覚も嗅覚も、体の細胞という細胞すべての感覚を自由に開放せてくれるような、
まあ、一言でまとめるならば、ふぅーーーーーーーっ、とため息ついてしまう、場所なのだった。
2008-09-17
夜11時 /Yukon2008
キャンプ最終日。月齢11。(満月まであと4日。)
日が沈んでしばらくたって、ようやく地平線から顔を出した月光が、ユーコン川に一筋の線を描き出す。
冷え込んできたし、そろそろ温かな寝袋にくるまれたいのに、もうすぐ終わってしまう原野の静かな時間が愛おしく、テントに入るタイミングが、なかなか掴めない。
今年はなかなか現れてくれない、気まぐれなオーロラを諦めつつ、でもまだ少しだけ期待しつつ、焚き火で暖をとりながら、静かに、静かに、夜はしんしんと更けてゆく。
寒いし面倒くさいから、と、忘れたふりをしていたけれど、そろそろガマンの限界を超えた私は、しぶしぶトイレに立ち上がって、焚き火の前を離れた。
用を済ませて
遠くから焚き火の輪を眺めてみれば
月の青白く柔らかな光、
小さな焚き火の橙色に照らされた仲間の顔、
アコースティックギターが奏でる「500マイル」の旋律と
急遽ドラムの役目を仰せつかったクーラーボックスが鳴らすリズムは
耳ではなく直接腹に響いてきて
即興のコンサートに、岸辺のアスペンの木々が
さわさわ ざわざわと拍手を送る。
ああ、こうやって言葉に紡ごうとしても
あの、本当にシンプルでそして深い時間は
書けば書くほど指の間から逃げていくような
もどかしく
説明の難しい瞬間なのだけれど、
原野のなかで5日間過ごしてきて少し鋭くなった感性は
じわじわと涙腺に働きかけてきて
ああ、こんな少しのものだけで
人間はここまで温かく豊かな気持ちになれるのだなあ、と
幸福感で体全部が幸せに満たされてしまい
密かに、私のなかでの旅のハイライトとなったのだった。
*
おおぅ、ギター始めたい。
日が沈んでしばらくたって、ようやく地平線から顔を出した月光が、ユーコン川に一筋の線を描き出す。
冷え込んできたし、そろそろ温かな寝袋にくるまれたいのに、もうすぐ終わってしまう原野の静かな時間が愛おしく、テントに入るタイミングが、なかなか掴めない。
今年はなかなか現れてくれない、気まぐれなオーロラを諦めつつ、でもまだ少しだけ期待しつつ、焚き火で暖をとりながら、静かに、静かに、夜はしんしんと更けてゆく。
寒いし面倒くさいから、と、忘れたふりをしていたけれど、そろそろガマンの限界を超えた私は、しぶしぶトイレに立ち上がって、焚き火の前を離れた。
用を済ませて
遠くから焚き火の輪を眺めてみれば
月の青白く柔らかな光、
小さな焚き火の橙色に照らされた仲間の顔、
アコースティックギターが奏でる「500マイル」の旋律と
急遽ドラムの役目を仰せつかったクーラーボックスが鳴らすリズムは
耳ではなく直接腹に響いてきて
即興のコンサートに、岸辺のアスペンの木々が
さわさわ ざわざわと拍手を送る。
ああ、こうやって言葉に紡ごうとしても
あの、本当にシンプルでそして深い時間は
書けば書くほど指の間から逃げていくような
もどかしく
説明の難しい瞬間なのだけれど、
原野のなかで5日間過ごしてきて少し鋭くなった感性は
じわじわと涙腺に働きかけてきて
ああ、こんな少しのものだけで
人間はここまで温かく豊かな気持ちになれるのだなあ、と
幸福感で体全部が幸せに満たされてしまい
密かに、私のなかでの旅のハイライトとなったのだった。
*
おおぅ、ギター始めたい。
北の大地を喰らう /Yukon2008
泥に沈む長靴 /Yukon2008
午後7時 /Yukon2008
2008-09-16
Yukon 2008
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