2009-12-22

走る理由

5時間走り続ける

なんて、酔狂にもほどがある。

しかも、都内のどまんなかの排ガスで濁った空気の中、1周5キロのコースを、ただただ、ぐるぐるぐるぐると。最初は左の方にあった影が、どんどん短くなっていき、気付けば右側に移動するまで、ずーっと、足を動かし続ける、なんて。

今のわたしの走力の場合、ゆっくり走って1周5キロを30分、5時間あれば、10周、50キロを走ることになる。フルマラソンより長いじゃないか、何が楽しいんだ、落ち着けよ、と、冷静で理知的な自分が止める。と、もう一方の祭り好きの自分がでてきて、

いいじゃんいいじゃん、せっかくの機会なんだし、やれよやれよ、

と、耳元でうるさく囁き続けるものだから、

来月、100キロマラソンに出ようとしているチームの最終調整トレーニングに便乗し、「5時間走」を体験してきた。(私の場合は50キロだが、このチームの速い人たちは70キロ走る。・・・70キロって、日本橋から東海道を歩いたら、もう少しで小田原、って距離だ。どうなんだろう・・・)。


走らない人に、走ることの楽しさを伝えるのは難しいし、伝えてみても届かないから、あまりここで語りたくはない。が、今回の、景色も空気も全然よろしくない、ティファニーとかシャーベットとかのご褒美もなにもない、ストイックすぎる5時間走の醍醐味が、いったいどこにあるかといえば、

「心の筋肉を強くする」、じゃないかと思うのだ。


快適な負荷を超したときにやってくるのは、足、関節、といった、からだの悲鳴だけではない。気持ちが、いきなり、グラグラしだす。今回も、予想通りというか、40キロ走っていい加減疲れた頃、案の定、ヤツが姿を現した。弱気な声。フムーーー、もう疲れたよ、やめたいなあ、無理じゃないかなあ、もうこの辺で十分じゃない?と、ヤツは叫びだし、私のやる気を容赦なく削いでいく。そう、普段は隠れているこの「ヘタレ自分」と向き合える、貴重なチャンス。

コイツと正面から対峙し、心折れないように「強気自分」が応戦する、この心のなかの葛藤。戦う機会が多いほど、「強気自分」が力をつけ、「ヘタレ」を退治してくれる。そして、私は、簡単には心がポッキリ折れない強さを身につける。この強さは、走るときだけじゃない、普段の生活のいろんな場面で活躍してくれる(してほしい)力だから。


どんなときも、弱気な自分に惑わされない、心の強さを持てるように。

東北ひとり旅(とは呼べないほどの時間)

野暮用あり、山形雪深き山の麓へ。
日帰りで、バタバタとした旅。もっとゆっくりしたいのだった。

カラリと晴れた東京に戻ってみれば、
あの猛吹雪は夢かと思う。



8:00 郡山駅車窓
この冬初めての雪景色に心躍る。

10:00 奥の細道湯けむりライン車窓
家の玄関を出てたった4時間で広がる別世界。
山も木も家も、白だけで彩られた世界は、何でこんなに美しい?
 
11:30 小さな村の、とある店先
道を聞いた、ら、呼び込まれて、いつのまにかお茶をすすり、世間話をし、リンゴを二つ両手に持たされていた
 
13:00 大好物の納豆山菜味噌汁を啜りながら
雪国の冬は厳しい。でも、厳しい分だけ、人が優しいんだ。この町のいいところは、温泉でも山でもなく、人なんだよな(←山形弁で。再現できず・・・)
 
15:00 ひたすらに降り積もる雪に今日電車動くのかと心配になりつつ
雪の下の人参も大根も、寒ければ寒いほど、自己防衛で、甘くなっていくんだ。人間と一緒だ。と、地元の方のつぶやき。
 
19:30 また納豆汁が食べたいとのリクエストで連れて行ってもらった食堂で、700円のカツ丼を掻き込みながら
 
オレさ、公務員やめて、給料三分の一になって、でも、今やってることは、充実度で言ったら、3倍以上なんだよね、と、楽しそうに豪快に笑う友
 
 

2009-12-15

飛行機野郎



アラスカのヒミツの温泉ログキャビンの壁の片隅に、この人のサインが落書きされていた。

たまたま一緒になったオーストラリア人夫妻が、この、2008年6月に飛行機事故で亡くなったブッシュパイロット、Shaun Lantを惜しんでいたのを、ふと思い出す。

Shaun Lant website:   Due Up

腹筋女、氷河を語る


▲2007.8 Matanuska glacier, Alaska

いつみても、部屋に入るたび、腹筋トレーニングしているのだった。

先日、ファーストエイドの講習で一緒に仕事したデブは、アラスカからこの講習のために、やってきた女性。数日間、同じ部屋で寝起きをともにしたが、わたしが、朝ジョグから戻ったとき、朝食の後、夜、シャワーから戻ってきたとき、デブはいつでも隣のベッドで、持参のバランスボールに上手に座り、腹筋をし続けながら、静かに明日のクラスの予習をしていた。

こんなに部屋に何日も閉じこもっていると、からだ鈍っちゃうわよねー、と言いながら、次はスクワットを始めたデブに、私は、いつものように、アラスカの話をねだる。

イーグルリバーの5エーカーの土地に建てた家にはテレビがなく、代わりに大きくとった窓から見える景色、庭につくったジップラインの高さが5mあって、友人から「デスライン」だ、と恐れられていること、飼っている犬とのトレイルの散歩、ガイドをしているマッキンリー山エクスペディションの様子、家族から遠く離れて住むアラスカの「遠さ」・・・。

もともと、ウィスコンシンでドクターになるために勉強していた学生時代、ふと訪れたアラスカが、人生を変えたのだ、という。それまで、山に登ったことなんてなかったけれど、わたしは、この場所に住もう、ここしかないと決め、そして移り住んだ。医者になる代わりに、野外ファーストエイドの専門家になり、友人たちと毎週出かけた山は、いつのまにか、山岳ガイドという仕事の場所にもなっていた。

アラスカから東京に戻ってくるたびに、わたしは、混んだ電車に乗ることが怖くなり躊躇ってしまい、家になかなか帰れない、と告げると、The city is too stimulative. 音も色も情報も、刺激が多すぎるしね、とデブは同意してくれた。

「ryokoも、氷河を旅したならわかるでしょう?氷河の上は、白と青だけの世界で、音もなく、生物もなにもなく、匂いもない。2週間、3週間、あのなかで過ごして、久々に白と青以外の色をみると、それが、黒い石ころでも、久々の茶色い土でも、そこに懸命に生きている小さな植物たちの緑色でも、なぜだかとてもほっとするの。

もともと都会に住んでいて、今も都会に住む家族からは、そんな森の中に住むのは寂しくない?と、聞かれるけれど、でも、静かになればなるほど、その森は、自然が奏でる音楽で満ちあふれていることに気付かされる。今の季節は、ウィローが、雪の重さに耐えかねて、乾燥した空気のなかで、ポキッ、と折れる音が好き」


翌朝、わたしは、いつもよりも注意深く森の音を聞きながら、高尾の、住宅街にわずかに残された雑木林の中を走った。

2009-12-14

ハチミツを食べる前のほんの一瞬が


▲2007.7  Healy, Alaska または「時間節約装置」がまるでないところ


「正月やクリスマスにゆっくり読むといいですよ」と教えてもらった本を、正月までまだ日がある今日、ぱらりとめくる。しおりの挟んであるちょうどそのページが、これだった。以下、自分用メモ。


「時間節約装置の数々がほんとうに時間を節約したんだったら、いまや歴史上かつてないほど豊富な時間が手に入るようになっていそうなものだ。ところが、奇妙なことに、ほんの数年前と比べてみても時間が少なくなっている感じがする。時間節約装置がまるでないところへ出かけるのは、ほんとうに楽しい。そこでは、時間がたっぷりあることがわかるからだ。・・・

時間節約というこの大脅迫観念の問題点は、きわめて単純だ。時間は節約などできない。使うことしかできないのだ。しかし、賢くも、愚かにも使うことができる。イスガシ・スギカエルに時間はないも同然だ。それを節約しようとして、おおわらわで浪費しているからだ。しかも、わずかな時間まで残らず節約しようとして、結局、丸ごと全部無駄にしてしまう。

ヘンリー・デイビッド・ソローは、『森の生活』において、それをこんなふうに言っている。

--なぜわれわれはそんなにいそいで生き、人生を浪費しなければならないのか?我々は、空腹を感じる前に、餓死すると決めかかっている。早めの一針、九針を省く、というが、かれらは明日の九針を節約しようと、今日一千針縫うのだ--」



「「世界中でいちばん好きなことってなんだい?プー」
「えーと」と、プーはいい、「いちばん好きなのは・・・」といいかけて、そこで止まって考えてしまった。なぜって、ハチミツを食べることはとてもいいことだったが、食べはじめる前のほんの一瞬があって、そのときは食べているときよりも素敵だった。それをどういったらいいのかわからないのだ。

ハチミツは食べてしまえば、そんなにおいしいものではない。ゴールは、着いてしまえば、それほど重要なものではない。報酬は、受け取ってしまえば、それほどありがたいものではない。生涯の報酬を全部足したところで、たいしたものにはならないだろう。

でも、報酬と報酬のあいだを足してみれば、ちょっとした結果が出る。さらに、もし報酬とそのあいだを加えるなら、それで全部そろうことになる。一分残らず、ぼくたちが費やす時間だ。それを楽しむことができたら、どうだろう?

開いてしまったクリスマスプレゼントは、よくみて、持ち上げて、振って、考えて、それからあけるまでのプロセスで感じていたほど心ときめくものではない。・・・ゴールに着くたびに、それはそれほどおもしろいものではなくなり、ぼくたちは次を、またその次やその次の次を目指すことにする。」

 
(「タオのプーさん」ベンジャミン・ホフ)

2009-12-10

骨折でも捻挫でもいいんです (WAFA)



PROP, STOPEATS, RICE, SAMPLE, SOAP, AVPU, CPR, MOI, TBI, TIP, VS, ASR, ICP, ... 

知っている人には懐かしい、分からない人には訳の分からない呪文のようなこの略語(abbreviations, acronyms)の数々が、本を読んでいても走っていても、常に頭の中をぐるぐる回る今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。

先日、縁あって、今、日本で行われている、WAFA(Wilderness Advanced First Aid)講習の手伝いをしてきました。今日はそのお話を。(医療用語の訳は、ハードル高かった・・・。)



WAFAのもう一つ上、80時間の講習が必要なWFR(Wilderness First Responder)は、北米のアウトドア業界で仕事しようとしたら、真っ先に要求される資格で、だから興味を持って取得した、というのもあるが、もとを正せば、最初のきっかけは、手の骨折だ。

数年前、ハイキングのレベルのその先を楽しむようになったばかりの、ヒヨッコ・アウトドア人間(私)は、知人の「沢登りいくよー」という誘いに、「はーい」と、二つ返事で、何も知らぬまま、何も持たぬまま、その楽しそうな、「道じゃなくて今日は川を歩くらしい」遊びに、ひょこひょこついていった。場所は奥多摩。

途中経過は長くなるので省略するが(手に汗握るストーリーなので、聞きたい方は直接お会いしたときに!)、結果としては、滝に登れず、横の崖を登ったその瞬間に見事にゴロゴロ転げ落ち、骨折し、道に迷い、一晩、寒さに震えながら夜が明けるのを待つ、という、「都内OL、奥多摩で遭難!問われる登山者の自主的な危機管理」と週刊誌にタイトルつけられそうな、典型的な遭難事故(の一歩手前)を体験したのだった。

今考えると、あれが開放骨折でなくてよかった、骨折が足じゃなくて手でよかった、ヘルメット被っていてよかった、時期が夏で暖かくてよかった、脊椎損傷がなくて本当によかった・・・、と、ただただ「無知な私を、神様見捨てないでくれてありがとう」と感謝したくなるが、

(ギプス1ヶ月で)痒く痛い右手と、なかなか完治しない全身の痣が教えてくれたのは、「東京にいたって、救急車が呼べない場所はある。これ以上、自然のなかに深く入って遊びたいなら、自分の身は自分で守れ~」という事実。

楽しい遊びは、要求されるものも多いのだ。



ウィルダネス・ファースト・エイドが、日本の赤十字や消防署の教える「救急法」と決定的に違うのは、「すぐに医療機関に搬送できない場合」という条件のなかでの対処法、という部分。119を押せば数分で救急車が来てくれない場合(大自然の中、災害時・・・)、傷病者を、死なさず、状況を悪化させず、どのくらいの緊急度をもって、緊急避難(evacuation)させなくてはいけないかを判断する、その「判断する力」を教えてくれる講習なのだ。

たとえば、骨折の固定。「そこにあるものを使い、要求を満た」せばよいので、日赤の美しい三角巾巻き方講習の先生たちが見たら卒倒するような巻き方でも大丈夫。テントポール、マット、ストック、服・・・、血の流れを止めず、患者が楽な姿勢で、怪我した部分がきっちり固定されていれば、その項目は合格。

骨折、と書いたが、医者でない私達にとって、その怪我が骨折か捻挫か脱臼か、どんな名前の怪我であるかは区別できなくてよい。必要なのは、「その部分は、怪我によって、もう使えないの?まだ使える?」「この状態は、ヘリコプターで搬送するべき?一刻を争う?」かを判断できる力。

(日本人の考え方の癖?として)、きっちりとした正解がほしく、「このケースは、このやり方で合ってますか?」という質問が飛ぶと、答えは常に、「It depends。状況によります」。

傷病者役、救護者役に分かれて何度も繰り返される実習でも、聞かれるのは「何故あなたは、そう判断したのですか?」という考え方の部分で、それが、論理だったものであれば、処置が他の人と違っても、合格となる。


インストラクターが、「人間のからだは、何よりもよくできた精密な機械です。車の故障はバンパーを開ければいいけれど、人間は・・・、たとえば頭蓋骨は、簡単には開けて見ることはできない。でも、いろんなサインを出してくるから、そのサインを読み取れれば、故障箇所と状態と緊急度がわかるのです」と、初日に力説していた一言が、印象的だった。


WAFAは、4日間で受講可能。からだのサインを聞けるようになること、何が命に関わるのかの「判断基準」は、知っておくと、万が一の時にとても安心して対処できるので、山に行く人たちはもちろん、街で生活する人たちも、知っておいて損はない知識、ぜひぜひお勧めしたい講習です。


2009-12-02

おとなの宝探しは自由と責任を前提に(ロゲイニング)


▲Juni提供。わたしは宝探しに夢中で、この日は写真どころじゃなかった。

このたび、夢中になりそうな、新しい遊びをみつけました。

1.森を走るのが好きだ
2.山を登るのも好きだ
3.道路を走るのはキライじゃない
4.知らない道を歩くのが好きだ
5.負けず嫌いだ
6.パンクチュアル、ということばが好き
7.チームで動くのは嫌じゃない
8.こどもの頃、わざと知らない小道に入って迷子になってみた
9.こどもの頃、宝の地図を書いて(眺めて)わくわくしていた

という人(=それは私、)にぴったりのこの遊びは、「ロゲイン」という、不思議な名前がついている競技。

詳細は協会の案内ページに譲るとして、要約すれば、時間内(今回は5時間)に、宝の地図とコンパスを両手に、目の前に広がる景色と睨めっこしながら、山の上や谷の中に広く隠されている宝の山(チェックポイント)を、なるべく沢山探しておいで、というレース。

チーム制なので一人では参加できないし・・・と、ロゲインの名前を知り、興味をもってから半年、先日、機会あって、ようやくレースに参加することができ、富士山の麓を走り回ってきた。まだ興奮さめやらぬ今日は、「初」体験の感想を。



与えられる地図は、レース開始の10分前。そのわずかな時間で、宝物のザクザク度(=ポイント数)を計算しながら、ついでに、上り下りのルートの厳しさも見極めながら、その日のルートを効率的に考える。ここで求められるのは、冷静な情報処理能力。無闇に走っても、いいポイント数は稼げない。

実際にレースが始まると、宝の地図との睨めっこが続く。
地図読みは・・・、アラスカで鍛えられたとはいえ、あの広大で、ある意味、とても分かりやすい地形のなかを歩くのと、里山で、生活道の入り組んだ場所とは、どうも勝手が違っている。1/30000(1センチが300m、の縮尺)地図と睨めっこしながら、1日中、「はい、次3mm・・・、ええっと、90m進んで左ね」「あ、この牧草地、3本だけ杉が生えてるね・・・おお、地図にも、ちゃんと針葉樹林マークが・・・」と、本当に地図を「読み込む」という体験はとても新鮮。

1日そんなことをしていたら、すっかりと、地図の1センチはタラタラ走ると2分、という感覚が、頭でなくからだで理解できるのが嬉しい。1枚の地図が持つ情報量の多さに圧倒され、地図好きの心をくすぐられる。

さらに、これは、一人ではなく、2~5人のチーム競技というのも絶妙なスパイス。今回、急遽チームを組んだわたしたち4人組は、元登山部がいて、トライアスリートの体力勝負の若者がいて、ムードメーカーのいつも微笑みを絶やさない女性がいて、ただ鼻息荒い(けど体力が追いつかずにバタバタ走る)私。それぞれのよいところを上手に引き出し、弱いところをカバーしあいながら進む時間は、ソロで走っていては味わえない楽しさ。

初めてだし、トップを狙うわけではないため、常に全速力で走り続けるわけではない。ジョギングしながらおしゃべりを楽しみ、目の前に広がる真っ白い富士山を堪能し、どこまでも広がる牧場の真ん中を走りながら大きく深呼吸しては、牛の香水を全身の細胞にくまなく巡らせる。普段なら見過ごす滝を眺め、お楽しみポイントで待ち受ける豚汁は、つい、2杯目をおかわりして優雅なランチタイムにしてしまった。


参加目的の自由さも新鮮。本気のレースモードで走り回るのもあり、親子・カップル参加でピクニック気分もあり、普段のジョギングや山登りの目先変えたバージョン、という位置づけもあり。自由(時間をどう使うか)と責任(ルートがないので、地図見て自分で判断しないといけない)が伴うレースって、普通のマラソン大会では味わえない。

200組が参加していても、走り出す方向はバラバラで、周囲に惑わされることがなく、条件が許せば、道を行かずとも、直線近道ルートを選んで藪漕ぎも自由、というのは、人の後をついていくのがキライな私には、レースなのに、こんなに楽しくていいの!?と大興奮。時折すれ違う他チームとは、エールを送り合い、ときには、一緒になって宝探し。

今回の結果は・・・。
山のてっぺん好きなわたしが、「尾根を直登し、頂上のポイント高い宝物を探しに行こう」と主張、道なき道のルートで予想以上の時間をくってしまい、制限時間に43秒遅れてまさかの減点を喰らうが・・・、まあ、楽しく走れたので、ヨシ。満足な時間だった。


このブログをチェックしてくれている走り好きの皆様、これは、相当に楽しい遊びです。地図読みの練習兼ねて、ぜひ次はご一緒に!(ただし出るからには本気モードで宝探しします)

(海外バージョン出てみたいぞ。カナダの大会調べるか?)







2009-11-26

It's this simple (NOLS mind)



▲2007.7 NOLS Alaska

私がNOLS(National Outdoor Leadership School)熱烈な信者で、思考回路の約70%をNOLS教に支配されている、というのは、一部友人のあいだでは有名な話だが(そして、時折、煩いヤツと眉をひそめられるが)、

なぜ好きになってしまうのかといえば、
森の中でのお尻の拭き方、だけでなく、
道なき道の歩き方、だけでもなく、
氷河の上での美味しいシナモンロールの作り方、だけでもなく、

日常生活全般で使える底力・・・生きる力を、自然を通して教えてもらえたこと。カンタンには挫けない、踏ん張る力、を。


今日、NOLS同窓生が、届けてくれたことばは、だから、しっかりと、
新しい手帳の裏表紙に書きとめておこう。



It's this simple:

If I never try anything, I never learn anything.

If I never take a risk, I stay where I am.
If I go ahead and do it, that affects how much I continue wanting to do it, when I hold myself back, I trade appearances for the opportunity to find out what I'm like.
--by Hugh Prather

サンポノススメ


Posted by Picasa
▲2008.7 Kananaskis, Canada

「散歩がなぜ必要でしょうか」


森や林の中を歩いたり
野原や花園を歩くこと。
小鳥の声に耳をかたむけてください。


木々をつたわってくる
風の匂いをかいでみてください。


静かなところを歩くと
ゆっくり、神経が休まっていきます。




 

「地球とのつきあい方」


アスファルトでおおわれていない地面や
草原の上を歩くと
あなたは急速に自然に近づきます。


地球のエネルギーがからだに伝わり
からだにあふれ、
からだを丈夫にし
各種のわざわいにまけない
もっと強いあなたをつくるでしょう。



なにかを決めなければならないときには


▲Yosemite NP, USA 2009.10

なにかの価値判断をするときは
 そこに「美しさ」があるかどうかを
 まず
 考えてみることをすすめます



2009-11-24

Challenge is an opportunity


▲Yosemite NP, USA 2009

「困難な状況というのは、好機なんだ。
食事にありつけない日は、断食の機会を与えられたと思おう。
宿がみつからない日は、星空の下で眠れる機会だと捉えよう。」
サティシュ・クマール氏の講演会でのことば)



10月、ヨセミテの暴風雨がもたらしてくれたのは、

翌日の空の青さと高さに気づく心

(雪解け時でない10月という時期なのに)
水の、岩をも砕かんとするような、
迸る力強いエネルギーを肌で感じられたこと



毎日は
考え方ひとつで
どうにでも変わる

太刀打ちできない「自然」と遊ぶなら
無駄な抵抗をしない諦めのよさと
easy-goingな心持ちが
どうしたって
必要だ

人生も

慈愛に満ちたサンタの皆様へ:星野道夫2010



久々に街に出たら(←東京にいるのに「久々」って!)
すっかりクリスマスモードだった。
街が、キラキラ。
街ゆく人の足取りは、うきうき。

早。

クリスマスといえば。
このブログを訪れてくださっている、極北好き、慈愛の心に満ちたサンタクロースの皆様へ、昨年にひきつづき、今年も、星野道夫カレンダーのご案内でございます。



オーロラクラブ、は、友人が関わっている団体。故・星野道夫氏の意思を汲んだ仲間たちが立ち上げ、子供たちに、アラスカの氷河キャンプを体験させてくれる。3月の1週間、何もない氷河の上でオーロラ見上げながらキャンプした子供たちの感想は、なんとも素敵。

「犬ぞりっていうと犬が走らされているのかと思った。だけどそれは私の勘違い。犬は走りたかったんだ」


「人間の生きる基本を知った」

「月明かりがまぶしいなんて初めてだ」

「骨の髄まで浸透してくるルースの寒さと荘厳で壮大なオーロラにふるえた」

「ビデオなどとちがって音がなく、しいんとしずまりかえっていて風もないのになびいていました」

「目を開ければ自然のままの大きな大きな山がある。ずーっと見てても飽きないし、どんどん感動が大きくなっていく」

「水と食料と、適度な温度と人さえいれば、他に何もいらないと思った」


「目が覚めたときに起きて、食べたいときに食べる。寝坊も夜中のお菓子も咎められないなんて、素敵すぎます」


「一番楽しかったことは、生きていくために働くことです」・・・



大人だって沢山感じることのあるアラスカの大地、感受性豊かな子供の頃に、しかも氷河の上で1週間も過ごすことができたなら、それはその後の人生に、大きな影響があるだろうなあ、と、思うのだ。そんな彼らが、資金源の足しに、と毎年作っているのが、星野道夫の写真をつかった12ヶ月卓上カレンダー。これがまた、一石三鳥。

1.毎月毎月、オフィスや家にいながら、アラスカの一風景が楽しめる

2.終わった月のカレンダーは、切り取ってポストカードに。日頃不義理をしている大切な人に、気軽に一筆。アラスカの澄み切った空気を届けましょう

3.しかも、子供たちがオーロラの空の下で、何かを感じ取ってくれているのに、一役買っている。



これがたったの1200円(送料込み)、一ヶ月100円で楽しめるのだもの。

ここに来てくれている方は、きっと極北の大地を踏んだ方も多いと思うので、賛同してくれるサンタクロースがいることを願いたいと思います。

直近に私と会う予定の方は直接お渡し、そうでない方は、郵送しますので、下記アドレスまでご連絡ください。
wildernessryoko 【at】 yahoo.co.jp




2010年も引き続き、

机の上にアラスカを。

子供たちにアラスカを。

2009-11-20

アートは一瞬一瞬に宿っているものなのだ


▲犬橇キャンプ、さよならの挨拶のときに、SAKURAが私に見せた表情。この写真みるたびに、今でも涙。(2009.3 Yukon, Canada)

昨日のスライドショー、30名弱のご参加、ありがとうございました。イベント後も、参加者の方と話は尽きず、最後は夜11時過ぎまで、話し込んでしまいました。楽しかった!

おかげさまで、来年の犬ぞりキャンプのお申し込みも順調にいただき、ただいま、残席2名となっております。ご検討中の方、決断はどうぞお早めに。



さて、昨日のイベントで、わたしは犬ぞりキャンプの情報をお伝えしたら、お返しに、参加者のひとりから、気になる人物を紹介していただきました。こういう偶然の出会いと情報は、「縁」というか、とても貴重なものだと思うのです。

その名前は、実は、ここ数日、他の人からも聞いていて、頭の片隅で気になっていた人物。現在来日中で、明日が東京で最後のイベントだ、ということで、この機会は逃すまい、さっそく行ってこようと思います。(こういう瞬間に、あ、東京にいることも悪くない!と認識できる)

なんていったって、私が昨日伝えたかったこと、アラスカに教えてもらったことは、ここに、簡潔に完璧に、言い表されているのだもの。

まったく同じこと、一緒にムース料理食べながら、フェアバンクスのベルマは、いつだか話してくれたっけ。「車を降りて、歩きなさい」って。

昨晩試食にだした、アラスカ母さん手作りブルーベリージャムも、私が山の中で窮地に追い込まれてつくった箸も、全部ぜんぶ、一本の糸のように、ここにつながっているじゃない?




「アートは美術館にあるものじゃない
毎日の生活、一瞬一瞬に宿っているものだ

呼吸すること、歩くこと、食べること、耕すこと
全てに美しさを見い出し、心を込めて行なうこと
全ての人が特別なアーティストなんだ

アーティストの能力をみんなが持っているのに
それを冬眠させてしまっている


目覚めさせるためには
私たちは自然との関係性を取り戻さなくてはならない
そのためにはどんなに忙しくても自然と向き合う時間を
日々の生活に持つことが大切だ

コンピュータの前で何時間も過ごすのでなく
意識的に時間を作って、無心に自然の中を歩くと良い

またアーティストでなくなってしまったのは
私たちが消費主義に支配されているからだ
消費やお金が、アートや想像力を奪ってしまう

生活に必要なものを買うのではなく
想像力を働かせ、手を動かし、喜びを感じながら作ろう」

--サティシュ・クマール氏。
引用は、この夏、一緒に仕事させていただいた、kokoさんのWEBサイトより。



11/21(土)
平和フォーラム2009 Be the Change
 “おかげさま”からつながる世界 
場所:本願寺築地別院
詳細は ナマケモノ倶楽部

2009-11-19

On the glacier


▲Matanuska Glacier, Alaska 2007

氷河の上は、完璧に美しい世界だった。

2009-11-17

直線と曲線と


▲Dalton HWY,  Pipeline and No name river , Aug.2009

一週間の北極圏の空の旅を終え

久々に見た人間の軌跡であるstraight lineは

奇妙でもあり懐かしくもあった



あの、空の上でふっと襲われた、奇妙な感覚が届けばいいな、と思います。明後日のスライドショー。犬ぞりの細かい説明なんてせずに、犬ぞりキャンプの「核」を伝えられたらな、と。

それにしても、すでに20名近い参加表明、ありがとうございます。初めてみるお名前の方々も半分ぐらい。お会いできますこと、楽しみです。

あ!夏、フェアバンクスの母が持たせてくれた手作りブルーベリージャム、試食用に持って行こう~。



<イベントご案内>

「極北の大地が教えてくれたこと」 
(兼 犬ぞりキャンプ企画説明会)
~大自然、挑戦、生き方、チームワークと信頼~


■開催日時: 11月19日(木)19:00-20:30 
■場所:新宿御苑
詳細とお申し込みは、私に連絡いただくか、またはこちらより。

「どんないいレンズを使っても映らない」景色を切り取りに




▲on the shoulder of  Mt. Queen Mary, in the Saint Elias Mtns, w/ Mt. Logan,  Canada 2006.8

昼ご飯は焼き芋。(日常は地味な生活してます。)

焼けた合図で芋を取り出し、オーブンの余熱を手に感じていたら、・・・、3年前、氷河の中に閉じこめられた夏を思い出す。

常設テントのなかにあった暖房器具は、初日、ボンッ、という爆発音とともに、役割を一度も果たさず、静かに眠りについた。いきなり崩れた天気のせいで(おかげで)、有視界飛行のブッシュプレーンは、我々を迎えに来ることを諦めた。結果、わたしたちは、1泊で戻るはずだった日程を変更し、最終的には、5日間も、氷河の中に(楽しく)閉じこめられる。どうにも底冷えがして寒くなると、調理室に入り、オーブンを温めて、手をかざしては、慎ましく暖をとったものだった。

(この体験をしたい方は、ツアーがあります。ご連絡ください。)



ここで一緒に過ごしたメンバーは、どの人も多才で素敵で、人生楽しく謳歌している、尊敬する大先輩たちで、わたしは、ここに閉じこめられた5日間が、楽しくてしかたなかった。そのひとり、パラグライダー写真家、テツ兄さんが、「オーロラ撮影しよう」ツアーをやるよ!とのことなので、写真好きの方に、ここでご紹介。

写真が仕事のくせに、「ユーコンの景色はさ、どんないいレンズを使ったって映らない。心の画像が一番なんだ」と言い切るあたりが、この人の魅力だ。(でも、実際の写真をみれば、ああ、やっぱり、写真というのも、表現の手段なのだなあ、と力強く納得させられる。)

ユーコンの地は、1枚を撮るために過ごすプロセスと時間が好きなんだ、と説明していたけれど、そう、オーロラの写真撮りにいっても、できあがる作品の裏にある、現地で過ごす時間に、たくさんのお楽しみと大切なことが、待っているはず。だから、自分で体験しないとだめなのだ。

今回の企画が、どうぞ成功しますように。
(そしてうまくいけば、添乗という形で私もお手伝いできますように!)


出発は、1月と2月。場所は、ユーコン・ホワイトホース郊外。
詳細はテツ兄さんのブログへ、または主催会社・郵船トラベルへ。

おとなとこどもの修学旅行:アラスカの手作りロッジで、みんなとすごす大自然


▲放課後のランニング課外活動中のこどもたち Noorvik, Alaska 09



WEB作成が間に合っていないけれど、やるき満々の私は、情報を先出しします。2010年、地球探検隊で、新しい試みに挑戦です。アラスカの地を、心のやわらかな、子ども時代にこそ体験してほしい。

現地のキース爺も、相好崩して、待ってくれています。「おお、りょーこさん、楽しみです。でも、連れてくるのは、あなたの子どもではないのですね?」と、舅のような、余計なひとことと共に。



地球探検隊 おとなとこどもの修学旅行シリーズ


「飛行機へ乗って外国へ、オーロラをみにいこう」
~ 春休み特別親子企画:
  アラスカの手作りロッジで、みんなとすごす大自然の1週間 ~

■日程:2010年3月26日(金)~2010年3月31日(水) 6日間

*日本発着最短日程:2010年3月26日(金)~2010年4月1日(木) 7日間


■定員: 8~16名
■参加条件: 新小学1年生~新高校3年生のこどもと保護者(20歳以上)のペア、または、新小学5年生以上は、こどものみでも可能
■発着場所:アラスカ・フェアバンクス(アメリカ)
■主催:CHANDALAR RIVER OUTFITTERS
■コーディネート&同行: 青崎 涼子(地球探検隊非常勤スタッフ)、池上 智樹(こども野外キャンプの達人)

詳細はまもなく発表、問い合わせは、地球探検隊まで

2009-11-16

the World



勉強部屋(かっこよく言うと書斎)で15年使ってきた地図が、あまりにもボロくなったので、二代目に世代交代させた。

ついでに、ピンで訪問国を印していく。結果、80x120センチくらいの四角のなかにギュウギュウつまったこの広い世界のなかで、わたしが足跡を残した場所なんて、ほんのわずかだ、と、視覚的に思い知らされる。

地図を広げると脳内トリップが始まってが広がって、あそこもここも、とソワソワしてくるが、ここ数年は、どうしても、左上の一カ所が気になって気になって、他の場所に行く機会がなかなかできない。

一カ所に囚われてしまうなんてばからしい、と思いつつも、何度でも訪れたいと思う場所ができたことは、嬉しくもあるのだ。何度訪れても、新しく感動し、息をのみ、心を奪われてしまう。行けば行くほどに、知れば知るほどに、その感覚は深みを増していく。

2009-11-14

観光以上、冒険未満

「You gotta take care of yourself, because we can't take care of you.

"自分の面倒は自分でみるんだ。人に頼ったら自然に負けるから。 アラスカを好きなら、ここにいたいのなら、君に知ってほしいこと。 複雑ではないよ。自分と自然、それしかないとき、とてもシンプルだ。生きぬくこと、この大地の中で生き抜くこと、それしかないんだ。 自分と自然の間に隙間がなくなって、自分が確実にその一部であると知るんだ。"」


以前にも引用したが、これは、アラスカ人が、アラスカのことを好きになった日本人の女の子にかけた言葉。

自然のなかでは、ひとりでは何もできない(ほっぽり出されたら1日で倒れてしまうような)、完璧な都会人の私が、少しずつではあれど、自分の面倒は自分でみられるよう、必死になって身につけてきたここ数年の「学び」というのは、結局、極北の大地に、もっともっと近づいていきたかったから。これからも、この奮闘は続きつづけるはず。


それに伴って、提供したいツアーの形も少しずつ形を変えてきた。

「ツアー(観光)」は、気楽な「ゲスト(お客様)」であることを前提にしているけれど、その位置によりかかっている限り、その向こうの、息をのむような風景には、なかなか出会えない。

私が提案している旅の企画は、ふつうに、日本で生活している人たちを対象にしているから、いきなり、「はい、すべての面倒を自分でみてね」というのは無理な話。

今回、2度目となる「犬橇遠征隊」の企画も、だから高いお金だして、現地の犬橇専門ガイドについてもらうのだけれど、それでも、呑気なゲストから一歩脱却し、遠征メンバーのひとりとして、自分にできることを探して、忙しく、主体的に身体を動かしてもらいたい。ガイドや私だけでは、全ての仕事はできないので、作業量が極端に多いこの犬橇遠征は、だから、参加者全員が、自分のチーム(犬)に関しては、責任をもって面倒をみていかねば、成り立たないようになっている。

「働くこと」そのなかで過ごす時間すべてが作用して、オーロラキレイだったね、だけではない、もうひとつ深い「何か」を、感じる結果につながると信じるから。

2009年、犬橇遠征企画 参加者の感想




<原野を旅するシリーズ、のお誘い>

8名限定!春のユーコン: 犬ぞりを操り原野キャンプ、夜空に煌めくオーロラを求めて
日本発着最短日程: 2010年2月27日(土)~3月6日(土) 8日間

説明会は、11月19日(木)

2009-11-11

【イベント】11/19犬ぞりスライド

ひとつ前の投稿↓、ずいぶんと気が早くてすみません。

ホンモノの私は、こんなにキレ良くおどれませんが、それでも、極北の世界をお話するときは、いつも、このくらいに幸せな気分です。

来週木曜日、犬ぞり企画の説明会を兼ねたスライドショーします。犬ぞりだけじゃなくて、この夏のシーカヤックやらユーコン河くだりやら、自分で歩いた山やら空の上からみたベーリング海の景色も、一緒にご紹介できたらと思ってます。(まだ何も考えていないだけかも)

どうぞお気軽にご参加を!



「極北の大地が教えてくれたこと」 (兼 犬ぞりキャンプ企画説明会)
~大自然、挑戦、生き方、チームワークと信頼~


■開催日時: 2009年11月19日(木)19:00-20:30 
■開催場所: 地球探検隊オフィス
■参加費: 無料
■定員: 20名程度
■予約方法: 予約フォームまたは地球探検隊へお電話(03-3353-4455)でお申し込みください。

>>2010年2-3月 「ユーコンで犬ぞりキャンプ」 参加者順調に募集中!
Send your own ElfYourself eCards

2009-11-10

Labour of Love


*朝、ベースキャンプで*

餌やり。
水やり。
(その間にスバヤク人間のご飯)
小屋の掃除。
糞の片付け。
保湿クリーム塗り(ワタシの肌でなく犬の肉球に)
靴下をつける。
ハーネスつける。
橇に犬をつなげる。

*犬ぞりでの休憩中*

互いに喧嘩しないよう犬を配置換え。
靴下確認。
体調確認。
パワー食やり。
(その隙をぬって、ニンゲンも急いで温かい紅茶を補給)

*夜、キャンプ場で*

橇を木につなぐ。
穏やかに眠れるよう犬を配置換え。
雪を融かしてお湯を沸かす。
持ってきた藁を敷き詰めて犬のためにベッドメーキング
沸いたお湯をつかって餌づくり
餌やり
ニンゲンの寝床(テント)作成
ニンゲンのトイレ作成(新雪踏み固め)
薪割り
ニンゲンのご飯作り
犬に防寒服着せる
氷点下ではすぐに冷めるのでニンゲンスバヤク夕食
夕食片付け
犬のお夜食
(ふと気づけば夜空にオーロラ)
  ・・・・・・


犬ぞり経験3日間かそこらのゲストある私達メンバーですら、ここまで忙しく働きまわらないと、犬ぞりキャンプトリップは回らない。(しかも横では、ガイドたちが、この10倍くらい忙しく動き回っている)。とにかく、やることが多く忙しい。正直、オーロラとか、どうでもいい、と思わせるくらいに、他のことが忙しい。

「忙しく」させる相手は生き物なので、「疲れた」とか、「面倒くさい」とか、言っていられないのだ。犬に走ってもらわなければ、1日数十キロも旅をすることはできないし、せっせと薪割りをしないと、自分も、氷点下20度の寒さをしのげない。

これだけ忙しくても誰も文句言わないし、それどころか、ニコニコと積極的に作業に加わってしまうのは、つまり、この旅が考えさせてくれる、とても大切な、キーとなるメッセージ、なのかな。


ということを、カナダの北に住む、犬ぞり歴10数年の友人が送ってきてくれた手紙を読みながら、思いにふける、秋の夜長。

「私が持っている原野の体験の本質は、1にも2にも肉体的にハードワークをすること。そしてそれを通して体に刻まれる何か。それは、都市では決して経験できないものです。

原野で得られる充実感や自信とは、肉体や五感や意識を精いっぱい使い研ぎし生まれる、感覚や強さのこと。これを知ってはじめて北の原野の旅が体に入ると思うのです。

私にそれを深く教えてくれたのが、犬ぞりでした。冬中、原野で犬と生きるのは、夏のカヌー旅よりはるかに激しく、きびしく、そして手応えがあります。体の中心に深く入ってくるずっしりした経験。それは労働の本質的な体験。犬と共に生きながら"Labour of Love"を考えていました。」



わたしは、極北の大地から、お金で解決せず、自分で働くことの楽しさを学んだ。

が、トーキョーという大都市で暮らしていると、お金の「便利さ」「誘惑」が邪魔をして、身体うごかさずに頭でっかちに戻っていってしまうので、定期的に、あの大地へ戻って、学びつづけることが必要なのだ。



<原野を旅するシリーズ、のお誘い>

8名限定!
春のユーコン: 犬ぞりを操り原野キャンプ、夜空に煌めくオーロラを求めて
日本発着最短日程: 2010年2月27日(土)~3月6日(土) 8日間

説明会は、11月19日(木)

2009-11-01

犬と旅する春のユーコン河



このブログ、遅々として進まないヨセミテ・キャンプ報告の途中ですが、速報入ります。


お待たせしました。
昨日発表、すでにご予約いただきはじめました。
滑り出し順調です。

説明会という名前だけど説明会じゃない。わたしが北の大地とつながってしまったここ数年の軌跡を全部お話します。なんでこんなに、難しくヘンチクリンな企画を提案しつづけているのか。ここまで辿り着いた長い軌跡がベースにあって、だから、犬ぞりでキャンプしながら出会う北の原野、という時間を、皆様に伝えたい。

ツアーにあまり興味ない方も、この夏のわたしの「はじめてのおつかい」ユーコン編、「掛け流し温泉つかりながらアラスカでカリブー編」のお話、聞きにいらしてくださいな。



このツアーの醍醐味は、ツアータイトルの「犬ぞり」も「オーロラ」も「キャンプ」、というのが、表面的には正しい。簡単に説明しようとすれば、そうなってしまうのだけれど、深層は別のところ。


「言葉喋らない犬たちとの心からの信頼関係とチームワーク」

これ以外にないだろう。きっと。信頼する犬たちと旅するなかで出会うユーコン原野の風景は、胸のどまんなかに直球で突き刺さるはず。

この感覚、ほんとうに、説明しづらいのだけれど。

2009-10-30

大自然に注がれる幸せなシャワー (ヨセミテ#4)

▲ from Southside Drive, Yosemite NP, USA


都内を電車に揺られて    2時間。
飛行機で映画2本みて    8時間。
BartでSFOの対岸の町へ  1時間。
AMTRAK鉄道にまた揺られ3時間。
山道をYARTのバスで進む 2.5時間。

ヨセミテ渓谷の松林のなかにあるキャンプ場へ到着したのは、時差16時間を飛び越し、16.5時間(プラス待ち時間たくさん)の移動時間を経た、真っ暗闇の夜9時。

PETZLのヘッドライトの頼りない明かりで到着したわたしに、隣のサイトの親切なおじさんが、見かねて強力ランタンを貸してくれた。心強いくっきりとした明かりの中でテントを立てる。夕食も早々に、疲れたからだを、久々に水平180度に横たえ、眠りにつく。


翌朝。

天気予報が告げていたとおり、テントのフライを勢いよくはじく雨音で目が覚める。「太陽が似合うカリフォルニアにおいて、この時期には珍しい大型低気圧が接近、嵐になるでしょう」という天気予報を忠実に守ろうとする空は、水栓の壊れた蛇口のように、絶え間なく大粒の水滴を落とし続ける。

覚悟はしていたものの、こんな遠くまでわざわざやってきたのに、この天気はどうよ、そしてこの天気の中、外で寝ている自分ってどうなのよ、と、不運を嘆いてテントから顔を出してみれば、

昨晩は気づかなかったが、この場所は、森をつくるわずかなな傾斜の一番下に位置しており、土が吸収できるよりも早い勢いで落ち続ける水滴は、低き低きへと川となって渦を巻きながら流れ込み、

・・・言い換えれば、わたしの居場所は、テント床下浸水警報がビービーなっている、まさかの水害地帯の現場なのだった。

という事実を把握するのに0.3秒。
寝ぼけていた頭は瞬時にシャキンと目覚める。

慌てて靴を履き、家(テント)を高台の安全地帯に移動すべく作業していると、昨日のランタンおじさんとはまた違う、斜向かいのサイトのおじさまが、おはよう、と、ニコニコしながらやってきて、雨で濡れるのなんて全く気にせずに、テントを動かし、テントの周りにトレンチ(溝)をつくり、タープを張り直し、という作業を、積極的に手伝ってくれるのだった。

「ようこそヨセミテへ!僕の大好きな場所へ!」

濡れて冷たくなった手足を焚き火で暖めながら話していると、そうか、昨日着いたんだね、ここがはじめてなら、僕が案内してあげよう、と、どこまでも親切なこのカリフォルニア人、Russelは、ガイド役を申し出てくれた。

クライマーの聖地、El Capがよく見える場所で車を降りる。あそこがノーズで、あのクラックがヤバイんだ・・・、足を怪我してからは、岩は登っていないけれど、と、説明してくれる横で、

わたしは、ようやく出会えた(昨晩の到着時は、真っ暗闇で何も周囲を把握できていなかったので、)1000m近く垂直にそびえ立つ、この巨大な岩の威厳に圧倒され、雨に濡れるのも忘れて、口をあんぐりと開けたまま、呆然と岩を見上げる。

「す、すごい・・・」

「ハイシエラのバックカントリーの山を歩き回っている僕は、人で溢れているヨセミテなんて、ってバカにしていた。食わず嫌いでね。ある日、自然なんて興味のない友人が、ヨセミテくらい行ってみたい、というから、しかたないな、つきあってやるか、と本当に久しぶりに来てみたら、ここの美しさに驚いたんだ。

それからは、1年に5-6回はこうやって訪れている。それに今日は僕の誕生日だからね、こういう日は、大好きな、特別な場所で過ごしたかったんだ」


「自然を愛する人と、僕が好きな場所をシェアできるのは、とても嬉しいことだ。さて、とっておきの場所を案内しよう」、ここが一番好きなんだ、と、最後に連れて行ってくれたのは、広い湿原と松林、その奥に、この公園のシンボルである、気高いハーフドームの一枚岩が正面から見えるベンチ。

雨(というか嵐、)だから誰もおらず、(この大人気観光地ヨセミテ渓谷のなかで、「誰もいない」というのは珍しい)、景色は、アンセルアダムスの写真のように色を消し去り白黒モノトーンで、分厚い雲の隙間から、ハーフドームの壁の一部がチラリ見えている。

静かな写真のような風景に、わたしたちは入り込む。時折聞こえるブルージェイ(だろうか?)の鳥の鳴き声で、あ、これは現実、と、意識が戻される。

ベンチでふたり静かに座っていると、ミュールディア(オグロジカ)がどこからともなく現れ、音も出さず、霧がかった湿原を、静かに横切っていく。とても静かで、平和で、すべてが完璧なバランスで成り立っている。地球の美しい芸術作品。



「雨もいいよね。君をここに案内できて、よかったよ」

雨が降っていなければ、ハロー、くらいの挨拶ですれ違っていた人とこうやって時間を過ごせたこと、そしてこれは私の前からの持論だが、初めての場所に足を踏み入れるとき、その場所を強く想っている人に導かれるのが、その場所を知るいちばん良い方法で、だから今回は、Russelにヨセミテの扉を開けてもらえたこと、雨がもたらしてくれた偶然に、感謝した。


が、ほんとうの、雨の恵みを知ることになるのは、これからなのだった。


Rain is just liquid Sunshine。
雨を嫌がらないで。
雨のなか、森にいることは、とても楽しいことなのです。
(ただし、しっかりしたレインギア着用のうえで。)



引用してばかりだけれど。
この人のこの感性、この表現力、実際に山の中で読んでいると、ただただ舌を巻くばかり。

「こんなにもすばらしい大自然の上にそそがれるたくさんの幸せなシャワーは、たまに美しい場所を見つけられない粒もあるが、山々の頂上に、輝く氷河の遊歩道に、森や庭園やモレーンの上に落ち、はねかえって、ぱたぱたと音をたて、洗い流すのだ。

・・・あるものは湖に向かう。さらに、急流の踊りや歌になりたくて、泡をつくりたくて、滝や渓谷に流れるものもある。この幸せな山の雨粒に幸運とよい仕事を与えたい。」

「神に祝福されたそれぞれの粒が、銀色の生まれたばかりの星のように、湖や川に、庭園に木立に、谷に山に殺到し、すべての景色は水晶の深い輝きを反射する。神の使者、愛の天使が威厳をもって送り込み、そして華やかに力を示す。そういったものの前では、人間のもっとも優れたものさえ空しく見える。

今は嵐も終わり、空は澄み渡り、最後の雷鳴が峰の上で聞こえる。さて、雨粒はどこへ行ったのか。あの光る集合体はどうなってしまったのだろうか。崇高に立ちのぼる蒸気は急いで空に戻っていくところだし、あるものは植物にとりかこまれて、まるい細胞の部屋の目に見えないドアを通ってゆっくりと移動している。

氷の結晶に閉じこめられたり、小さな春の花のために浸透性のモレーンのなかに入ったり、海に落ちたもっと大きな雨粒と合流するために川への旅を続けるものある。

泡から泡へ、美しいものから美しいものへ、つねに形を変え、ひとときも休まない。すべてが熱狂的な愛に包まれて流れ、星と共に神の創造物の歌を口ずさむのだ」

2009-10-27

召使いのまた召使いとして(ヨセミテ#3)

▲Liberty Cap (7076ft) and Nevada Fall , Yosemite NP, USA

ヨセミテ報告が全然できてない。

東京時間に呑み込まれて忙しくしてしまう、という理由と、
あの調和のとれた隙のない美しさを表現するには、どうしたって語彙が足りない、という自分の能力欠如の問題。


「ヨセミテの上のメルセッド川源流近くの雪をかぶった山頂が見えた。驚くほど近くに見え、紺碧の空に、くっきりと鮮やかだった。青い空気のなかに溶け込んでいると言うべきか。山々に空気がしみこんでいるようである。

山々への強い誘惑が私の心にしみこんでくる。山々のもとに行くことが許されるのだろうか。そうなるように日夜願っているが、実現するのは虫が良すぎるような気がする。誰か他にもっと適した、神のような仕事のできる人が行くべきなのだろう。

私はまだしばらくは、この愛の記念碑のような山々の周辺を漂流し、聖なる自然のなかでは、召使いのまた召使いというだけで満足しよう」

ススキのヨロコビ

▲湯河原の朝6時半。ケータイにて。

昨晩の嵐がすべてのヨゴレを洗い流してくれた朝
ぷちぷちと音のしそうな瑞々しい空の下を散歩

ススキが久々の秋の青空を楽しんで、かさかさと笑っている。



走るのが「いつでも山にいけるように」体力アイドリング状態を保つ手段、だとしたら、日本の小さな森の中にいる時間は、「いつでも山の声が聞こえるように」感性アイドリング状態を保ってくれる大切な場所、だ。

21.1キロのご褒美葡萄酒(勝沼ぶどう郷マラソン)

馬に人参が必要なように

私が走るのにはティファニーの青い箱や葡萄酒のご褒美が必要です。

勝沼ぶどう郷マラソン
1時間45分43秒(ハーフ)。
自己記録9分更新で、このところ順調な走りっぷり。

今回のご褒美は葡萄酒一升瓶(偶然の産物)。



今回の本当のご褒美は、レース参加者最高齢の94歳の男性と78歳の女性の、どうみても20歳は若々しく見えるお元気な姿にいただく勇気。

2009-10-22

Eyes to see, Ears to hear (ヨセミテ#2)

▲Panorama Trail, Yosemite NP, USA

Everything has beauty,but not everyone sees it.  -孔子

It seems strange that visitors to Yosemite should be so little influenced by its novel grandeur, as if their eyes were bandaged and their ears stopped.  -John Muir



世界遺産、ヨセミテ国立公園。

サンフランシスコから片道5時間、と、無理すれば日帰りできる近さに位置する便利さが幸いし(または仇となり)、アメリカで一番ビジター数の多い公園。

ここ数年のアラスカ通いで、すっかり自然の「大きさ」に贅沢になってしまった自分には、こんな人が多い場所なんて果たしてどんなものかいな・・・、と、食わず嫌いになっていた部分があるのだろう。サンフランシスコに立ち寄ることがあっても、ここまで足をのばす気には、なかなかなれなかった。

だから今回は、「2週間でアメリカの国立公園を6つ見る」なんて無謀なツアーを企画していたその昔、添乗の仕事で訪れて以来、たぶん、10年ぶりくらいの、本当に久々の訪問で、個人旅行としては、初。


その昔の添乗員目線で覚えているヨセミテ(当時の滞在日数1泊)といえば、

・グレーシャーポイントまでの山道は車酔いするから注意
・アワニーホテルで豪華なランチをいただく
・落差が世界規模の滝がたくさん

くらいの乏しさで、

数年前に企画したカリフォルニアをドライブするツアーでのヨセミテといえば、

・ハーフドームの頂上に登れる

だけの意味を持つ場所で、



だから、まさか、この場所の、

神々しいまでに威厳と存在感をもつ花崗岩の巨大一枚岩、
その奥に雪化粧をして続いているハイシエラの山々、
岩から流れ落ちるそして岩の隙間から染み出てくる水のエネルギー、
天に突き抜けるように大きく育った松と檜とオークの森が奏でる森の声、
氷河の力をすぐ傍に感じさせる谷の深さと転がるボルダー、

その全てが完璧に調和して成り立つヨセミテバレーの景色の一瞬一瞬に

これほどまでに心奪われるとは、

前回、私は、いったい何をどこを見ていたのだろう
なぜゆえに、何も感じられなかったのだろう
と、不思議になるほど

ナチュラリスト ジョン・ミューアが愛したこの場所は、凛と引き締まった秋の空気が満ちる谷のなかで何日か過ごすうちに、

わたしの心までも、すっかり虜にしてしまったのだった。

2009-10-21

Leave impossible behind /SFO NWM 09


over all time  03:54:02
ちょうど1年前、42キロを5時間かけ、フラフラになって辿り着いた日、よしちゃんと走ろうときめてから、一つの通過目標であった、「4時間以内にゴールする=サブ4」が、叶った。 ひゃっほ~。

1マイルを9分で走っていけば、4時間以内にゴールを踏むことができることを頭でなくからだで覚え込んだ。

ちゃんと準備すれば、人は、立ち止まらずに、意外とスムーズに、42キロ走り続けられるものだと実感できた。

ゴール後に待っているご褒美がティファニーの青い箱、というのは、(宝飾系から遠ざかっている最近の私ですら、つまり、世の中の女の子にとっては、やはり永遠に)嬉しいものだった。



一度からだに覚え込ませてしまえば、「走る」という行為自体が楽しいものであるのはもちろんのこと、

つい最近まで、「42キロも走るなんて、ムリムリムリムリ絶対ムリ~!」と信じ込んでいた自分が、こうやって、目に見えるわかりやすい形で結果を出せるマラソンとは、なんと分かりやすく達成感を感じられる、シンプルで楽しい遊びなのだろう。

努力(=走った時間)が結果(=レースタイム)に分かりやすく結びついてくる、というのは、偏差値教育をミッチリと受けてきた自分には、遠い昔、受験生時代の、暗い屈折した楽しみ方を思い出させてくれ、

元はといえば、体力キープのため、補助的にやっているだけなはずなのに、うっかりしていると、つい、のめり込んでいきそうで、危険きまわりない。

これ以上、走りすぎないようにしなくては。


以上、「誕生!新サブ4ランナー」の、浮かれポンチ気味な呟き

Everybody needs beauty(ヨセミテ#1)

Four Mile Trail, Yosemite NP, USA

"Everybody needs beauty as well as bread, places to play in and pray in, where Nature may heal and cheer and give strength to body and soul alike." - John Muir

ソロ・バックパッキングの課題「軽量化」と、重量2キロ超す一眼レフカメラは相容れない。悩んだ上、コンデジしか持ってこなかったことを後悔した10年ぶりのヨセミテ国立公園。

2009-10-02

applause (Mt.Decoeli登頂記final)

@Kluane NP, Yukon Canada

数日ぶりにみた四輪バギーの車輪の跡
久々に見る背の高いスプルースとポプラの林

戻ってきた
戻ってきた文明へ

これ以上は無理なくらい黄色く燃えさかったポプラの木々が両側から

やあよくやったよ
おかえり おかえり
カサカサ、カサカサ、と
乾いた拍手で迎えてくれていて

その様子はまるで
マラソンのゴール地点のような賑やかさ

わたしは誇らしげな表情で
アラスカハイウェイのゴール地点へと向かう


(で、最初の写真へとつながるのです)




おまけ
この後、ここから180k離れたホワイトホースへ戻るため、最高の笑顔でヒッチハイク敢行。長期戦になるであろう予想に反し、なんと13分後、5台目にしてシアトル在住の写真家がひろってくれました。待ち時間丸1日(バスは週3便)とバス代75ドル儲けた・・・。ブラボー。

*

MOUNT DECOLI ROUTE

後ろ髪引かれ(Mt.Decoeli登頂記13)


@Kluane NP, Yukon Canada

道のない場所を歩いてゆく

手には1/50000のtopo map

どのルートを歩いていくのがいちばん得策なのか
一歩一歩判断しながら
頭の中はぐるぐると常に忙しい

氷河から流れ出た飛び上がるほど冷たい川を横断するのか
熊におびえながらの背の高さもあるウィロー林に入り込み藪漕ぎするのか

砂場に残った動物の足跡
滑る岩場
今の葉擦れの音は風?動物?

緊張感とぎれない中
それでも同時に

秋の終わりのこの晴れた1日を
歩き去ってしまうのがどうにも惜しく

写真を撮りながら
後ろを何度も振り返りながら

忙しく景色を楽しみながら
原野を歩きつづけた

風が起こしてくれた夜(Mt.Decoeli登頂記12)

@Kluane NP, Yukon Canada

この日は
静かな静かな夜だった

1日動き回り疲れ果てて眠っているわたしを
風が

テントのフライを
ぱたぱたと
遠慮がちにノックして
呼びにくる

夜中11時40分
ワタリガラスもマーモットももう寝静まった静寂の中
ふと目を覚まし

テントからはい出てみると

天井は降ってきそうな星たちが
瞬くことも忘れてただ光り続ける

北の空には
今シーズンはじめて見るオーロラが
やはり遠慮がちに
ひらひらと踊りつづけていた

起こしにきてくれた
風よ
ありがとう

blue sky (Mt.Decoeli登頂記11)



@Kluane NP, Yukon Canada

the Morning Glow(Mt.Decoeli登頂記10)

@Kluane NP, Yukon Canada


Still Keep Climbing (Mt.Decoeli登頂記9)



@Kluane NP, Yukon Canada

2009-10-01

from the peak (Mt.Decoeli登頂記8)





@Kluane NP, Yukon Canada

無風、快晴、ひとりきり
緊張感と開放感にアドレナリンの興奮をプラスした
独特のこの感覚のなかで

1時間歩いては1時間休憩し
30分歩いてはまた1時間休憩し
下から沸き上がる雲に少しおびえて
次はまた1時間歩く

ベースキャンプから半日で往復できる距離を
丸一日かけてゆっくりと歩いた

山脈の奥にはローガンがそしてアラスカが
ここまでおいでよと手招き

いくら見続けても見飽きない景色が360度広がっていて
途中からカメラを取り出すことすら忘れてただ見入る

岩と雪だけの無機質な世界を彩るかのごとく
時折ワタリガラスがコロコロと歌いながら通り過ぎてゆく

青色絵の具を溶かしたかのような完璧な空を
非情な飛行機雲がまっ二つに引き裂き
山の彼方へ消えていった

「人生って素敵だね」
ここに来る前に会話した友人とのことばを反芻しながら
引き裂かれた空を見上げ寝転がる

autumn to winter (Mt.Decoeli登頂記7)


@Kluane NP, Yukon Canada

ぬくもりある寝袋から出難く一瞬躊躇うが
肉体的欲求が(トイレいきたい)と
脳にスルドク訴えかけくるその
本能の声に逆らうことはできず
テントから這い出してみれば

昨晩の強風は
この谷に冬を一気に運びこみ
たった一晩で、季節は移り変わっていた
見事なくらいに冬がそこにいた

山の稜線の向こうから
ようやく顔を出したあたたかな太陽が
視界すべてをオレンジ色に染め上げ

凍り付いたツンドラの大地を私を
じわじわとでも着実に
とかしてゆく


霜の降りた大地はやわらかな光を受け
辺り一面本当に一面すべてがキラキラと輝き
凍り付いた夜から目覚め
ざわざわと息を吹き返し始める

ああ、これが私がつかみ取った景色
今年いちばんに美しい時間

寒さも
尿意も
息をするのも忘れて
ただただ呆然と立ち尽くす

2009-09-30

朝の月 (Mt.Decoeli登頂記6)

@Kluane NP, Yukon Canada

誰もいなくて何もない、
頼れるのは本当に自分だけ、という大自然のなかで
一晩過ごすと

自分の息づかいと大自然の鼓動が徐々に重なっていき、

覚悟をした、ということなのか、自分の弱さを受け入れた、ということなのか、うまく説明はできないのだけれど、いつのまにか、「恐れ」は「畏れ」へと静かに変化し、心は、波ひとつない鏡のような湖面ほどに、しん、と静まりかえっていた。

しん、と静まりかえったのは私の心だけでなく、外の世界も同様で


朝、目覚めると
昨晩、私を恐怖に陥れた風は見事にぴたりと止んでおり
圧倒的な静けさのなか、

昨晩より一層白く雪化粧した山肌と
群青色の空に光る一筋の月が

おはよう

と、優しく微笑んでいた

凶悪な顔をした雲が(Mt.Decoeli登頂記5)

@Kluane NP, Yukon Canada

それにしても、風が強いのだ。
ブルーベリー林を超え、無事「熊問題」からサヨナラしたと思いきや、今度は、「風問題」勃発だ。


ただでさえ、山の中で、本当に本当に一人きりとなり、微妙に心細いところに、この、容赦なく吹きつける強風といったら、唯一露出している頬をみるみるうちに冷やしていく。頬とともに、一生懸命、気合いで灯し続けている、心のなかの小さな勇気という名の「明かり」も冷えてきて、心がそのままポッキリ折れそうになるくらい、風は相当に強い力で、私に向かってくる。

風がやってくるその方向に目を向ければ、ぐるぐる渦巻く凶悪な顔した雲が、西の山にべったりと張り付いて、この自然の中ではあまりにもチッポケな私とテントを見下ろし、あざ笑っていた。


寝ている間にテントが吹き飛ばされないよう、大きめの石を集めて補強しながら、数日前、ソロ登山家tomoと話した会話を思い出す。

「雨よりも雪よりも、風が嫌いだ」と言う私に、「そうかな。僕は好きだよ。風は、powerだから。遠くから、powerを運んできてくれるんだ。エネルギーの源、という感じがするな。」

ああ、tomoさん、やっぱり全然パワーの源じゃないよ、エネルギーを私から吸い上げる犯人だよ、この風は・・・、と、すっかり弱気になり、早々に、寝袋にもぐりこむ。



遠くで、マーモットが、キュゥー、と甲高い声で一声鳴いた。