5時間走り続ける
なんて、酔狂にもほどがある。
しかも、都内のどまんなかの排ガスで濁った空気の中、1周5キロのコースを、ただただ、ぐるぐるぐるぐると。最初は左の方にあった影が、どんどん短くなっていき、気付けば右側に移動するまで、ずーっと、足を動かし続ける、なんて。
今のわたしの走力の場合、ゆっくり走って1周5キロを30分、5時間あれば、10周、50キロを走ることになる。フルマラソンより長いじゃないか、何が楽しいんだ、落ち着けよ、と、冷静で理知的な自分が止める。と、もう一方の祭り好きの自分がでてきて、
いいじゃんいいじゃん、せっかくの機会なんだし、やれよやれよ、
と、耳元でうるさく囁き続けるものだから、
来月、100キロマラソンに出ようとしているチームの最終調整トレーニングに便乗し、「5時間走」を体験してきた。(私の場合は50キロだが、このチームの速い人たちは70キロ走る。・・・70キロって、日本橋から東海道を歩いたら、もう少しで小田原、って距離だ。どうなんだろう・・・)。
走らない人に、走ることの楽しさを伝えるのは難しいし、伝えてみても届かないから、あまりここで語りたくはない。が、今回の、景色も空気も全然よろしくない、ティファニーとかシャーベットとかのご褒美もなにもない、ストイックすぎる5時間走の醍醐味が、いったいどこにあるかといえば、
「心の筋肉を強くする」、じゃないかと思うのだ。
快適な負荷を超したときにやってくるのは、足、関節、といった、からだの悲鳴だけではない。気持ちが、いきなり、グラグラしだす。今回も、予想通りというか、40キロ走っていい加減疲れた頃、案の定、ヤツが姿を現した。弱気な声。フムーーー、もう疲れたよ、やめたいなあ、無理じゃないかなあ、もうこの辺で十分じゃない?と、ヤツは叫びだし、私のやる気を容赦なく削いでいく。そう、普段は隠れているこの「ヘタレ自分」と向き合える、貴重なチャンス。
コイツと正面から対峙し、心折れないように「強気自分」が応戦する、この心のなかの葛藤。戦う機会が多いほど、「強気自分」が力をつけ、「ヘタレ」を退治してくれる。そして、私は、簡単には心がポッキリ折れない強さを身につける。この強さは、走るときだけじゃない、普段の生活のいろんな場面で活躍してくれる(してほしい)力だから。
どんなときも、弱気な自分に惑わされない、心の強さを持てるように。
2009-12-22
東北ひとり旅(とは呼べないほどの時間)
野暮用あり、山形雪深き山の麓へ。
日帰りで、バタバタとした旅。もっとゆっくりしたいのだった。
カラリと晴れた東京に戻ってみれば、
あの猛吹雪は夢かと思う。
*
8:00 郡山駅車窓
この冬初めての雪景色に心躍る。
10:00 奥の細道湯けむりライン車窓
家の玄関を出てたった4時間で広がる別世界。
山も木も家も、白だけで彩られた世界は、何でこんなに美しい?
11:30 小さな村の、とある店先
道を聞いた、ら、呼び込まれて、いつのまにかお茶をすすり、世間話をし、リンゴを二つ両手に持たされていた
13:00 大好物の納豆山菜味噌汁を啜りながら
雪国の冬は厳しい。でも、厳しい分だけ、人が優しいんだ。この町のいいところは、温泉でも山でもなく、人なんだよな(←山形弁で。再現できず・・・)
15:00 ひたすらに降り積もる雪に今日電車動くのかと心配になりつつ
雪の下の人参も大根も、寒ければ寒いほど、自己防衛で、甘くなっていくんだ。人間と一緒だ。と、地元の方のつぶやき。
19:30 また納豆汁が食べたいとのリクエストで連れて行ってもらった食堂で、700円のカツ丼を掻き込みながら
オレさ、公務員やめて、給料三分の一になって、でも、今やってることは、充実度で言ったら、3倍以上なんだよね、と、楽しそうに豪快に笑う友
日帰りで、バタバタとした旅。もっとゆっくりしたいのだった。
カラリと晴れた東京に戻ってみれば、
あの猛吹雪は夢かと思う。
*
8:00 郡山駅車窓
この冬初めての雪景色に心躍る。
10:00 奥の細道湯けむりライン車窓
家の玄関を出てたった4時間で広がる別世界。
山も木も家も、白だけで彩られた世界は、何でこんなに美しい?
11:30 小さな村の、とある店先
道を聞いた、ら、呼び込まれて、いつのまにかお茶をすすり、世間話をし、リンゴを二つ両手に持たされていた
13:00 大好物の納豆山菜味噌汁を啜りながら
雪国の冬は厳しい。でも、厳しい分だけ、人が優しいんだ。この町のいいところは、温泉でも山でもなく、人なんだよな(←山形弁で。再現できず・・・)
15:00 ひたすらに降り積もる雪に今日電車動くのかと心配になりつつ
雪の下の人参も大根も、寒ければ寒いほど、自己防衛で、甘くなっていくんだ。人間と一緒だ。と、地元の方のつぶやき。
19:30 また納豆汁が食べたいとのリクエストで連れて行ってもらった食堂で、700円のカツ丼を掻き込みながら
オレさ、公務員やめて、給料三分の一になって、でも、今やってることは、充実度で言ったら、3倍以上なんだよね、と、楽しそうに豪快に笑う友
2009-12-15
腹筋女、氷河を語る
▲2007.8 Matanuska glacier, Alaska
いつみても、部屋に入るたび、腹筋トレーニングしているのだった。
先日、ファーストエイドの講習で一緒に仕事したデブは、アラスカからこの講習のために、やってきた女性。数日間、同じ部屋で寝起きをともにしたが、わたしが、朝ジョグから戻ったとき、朝食の後、夜、シャワーから戻ってきたとき、デブはいつでも隣のベッドで、持参のバランスボールに上手に座り、腹筋をし続けながら、静かに明日のクラスの予習をしていた。
こんなに部屋に何日も閉じこもっていると、からだ鈍っちゃうわよねー、と言いながら、次はスクワットを始めたデブに、私は、いつものように、アラスカの話をねだる。
イーグルリバーの5エーカーの土地に建てた家にはテレビがなく、代わりに大きくとった窓から見える景色、庭につくったジップラインの高さが5mあって、友人から「デスライン」だ、と恐れられていること、飼っている犬とのトレイルの散歩、ガイドをしているマッキンリー山エクスペディションの様子、家族から遠く離れて住むアラスカの「遠さ」・・・。
もともと、ウィスコンシンでドクターになるために勉強していた学生時代、ふと訪れたアラスカが、人生を変えたのだ、という。それまで、山に登ったことなんてなかったけれど、わたしは、この場所に住もう、ここしかないと決め、そして移り住んだ。医者になる代わりに、野外ファーストエイドの専門家になり、友人たちと毎週出かけた山は、いつのまにか、山岳ガイドという仕事の場所にもなっていた。
アラスカから東京に戻ってくるたびに、わたしは、混んだ電車に乗ることが怖くなり躊躇ってしまい、家になかなか帰れない、と告げると、The city is too stimulative. 音も色も情報も、刺激が多すぎるしね、とデブは同意してくれた。
「ryokoも、氷河を旅したならわかるでしょう?氷河の上は、白と青だけの世界で、音もなく、生物もなにもなく、匂いもない。2週間、3週間、あのなかで過ごして、久々に白と青以外の色をみると、それが、黒い石ころでも、久々の茶色い土でも、そこに懸命に生きている小さな植物たちの緑色でも、なぜだかとてもほっとするの。
もともと都会に住んでいて、今も都会に住む家族からは、そんな森の中に住むのは寂しくない?と、聞かれるけれど、でも、静かになればなるほど、その森は、自然が奏でる音楽で満ちあふれていることに気付かされる。今の季節は、ウィローが、雪の重さに耐えかねて、乾燥した空気のなかで、ポキッ、と折れる音が好き」
翌朝、わたしは、いつもよりも注意深く森の音を聞きながら、高尾の、住宅街にわずかに残された雑木林の中を走った。
2009-12-14
ハチミツを食べる前のほんの一瞬が
▲2007.7 Healy, Alaska または「時間節約装置」がまるでないところ
「時間節約装置の数々がほんとうに時間を節約したんだったら、いまや歴史上かつてないほど豊富な時間が手に入るようになっていそうなものだ。ところが、奇妙なことに、ほんの数年前と比べてみても時間が少なくなっている感じがする。時間節約装置がまるでないところへ出かけるのは、ほんとうに楽しい。そこでは、時間がたっぷりあることがわかるからだ。・・・
時間節約というこの大脅迫観念の問題点は、きわめて単純だ。時間は節約などできない。使うことしかできないのだ。しかし、賢くも、愚かにも使うことができる。イスガシ・スギカエルに時間はないも同然だ。それを節約しようとして、おおわらわで浪費しているからだ。しかも、わずかな時間まで残らず節約しようとして、結局、丸ごと全部無駄にしてしまう。
ヘンリー・デイビッド・ソローは、『森の生活』において、それをこんなふうに言っている。
--なぜわれわれはそんなにいそいで生き、人生を浪費しなければならないのか?我々は、空腹を感じる前に、餓死すると決めかかっている。早めの一針、九針を省く、というが、かれらは明日の九針を節約しようと、今日一千針縫うのだ--」
*
「「世界中でいちばん好きなことってなんだい?プー」
「えーと」と、プーはいい、「いちばん好きなのは・・・」といいかけて、そこで止まって考えてしまった。なぜって、ハチミツを食べることはとてもいいことだったが、食べはじめる前のほんの一瞬があって、そのときは食べているときよりも素敵だった。それをどういったらいいのかわからないのだ。
ハチミツは食べてしまえば、そんなにおいしいものではない。ゴールは、着いてしまえば、それほど重要なものではない。報酬は、受け取ってしまえば、それほどありがたいものではない。生涯の報酬を全部足したところで、たいしたものにはならないだろう。
でも、報酬と報酬のあいだを足してみれば、ちょっとした結果が出る。さらに、もし報酬とそのあいだを加えるなら、それで全部そろうことになる。一分残らず、ぼくたちが費やす時間だ。それを楽しむことができたら、どうだろう?
開いてしまったクリスマスプレゼントは、よくみて、持ち上げて、振って、考えて、それからあけるまでのプロセスで感じていたほど心ときめくものではない。・・・ゴールに着くたびに、それはそれほどおもしろいものではなくなり、ぼくたちは次を、またその次やその次の次を目指すことにする。」
(「タオのプーさん」ベンジャミン・ホフ)
2009-12-10
骨折でも捻挫でもいいんです (WAFA)
PROP, STOPEATS, RICE, SAMPLE, SOAP, AVPU, CPR, MOI, TBI, TIP, VS, ASR, ICP, ...
知っている人には懐かしい、分からない人には訳の分からない呪文のようなこの略語(abbreviations, acronyms)の数々が、本を読んでいても走っていても、常に頭の中をぐるぐる回る今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
先日、縁あって、今、日本で行われている、WAFA(Wilderness Advanced First Aid)講習の手伝いをしてきました。今日はそのお話を。(医療用語の訳は、ハードル高かった・・・。)
*
WAFAのもう一つ上、80時間の講習が必要なWFR(Wilderness First Responder)は、北米のアウトドア業界で仕事しようとしたら、真っ先に要求される資格で、だから興味を持って取得した、というのもあるが、もとを正せば、最初のきっかけは、手の骨折だ。
数年前、ハイキングのレベルのその先を楽しむようになったばかりの、ヒヨッコ・アウトドア人間(私)は、知人の「沢登りいくよー」という誘いに、「はーい」と、二つ返事で、何も知らぬまま、何も持たぬまま、その楽しそうな、「道じゃなくて今日は川を歩くらしい」遊びに、ひょこひょこついていった。場所は奥多摩。
途中経過は長くなるので省略するが(手に汗握るストーリーなので、聞きたい方は直接お会いしたときに!)、結果としては、滝に登れず、横の崖を登ったその瞬間に見事にゴロゴロ転げ落ち、骨折し、道に迷い、一晩、寒さに震えながら夜が明けるのを待つ、という、「都内OL、奥多摩で遭難!問われる登山者の自主的な危機管理」と週刊誌にタイトルつけられそうな、典型的な遭難事故(の一歩手前)を体験したのだった。
今考えると、あれが開放骨折でなくてよかった、骨折が足じゃなくて手でよかった、ヘルメット被っていてよかった、時期が夏で暖かくてよかった、脊椎損傷がなくて本当によかった・・・、と、ただただ「無知な私を、神様見捨てないでくれてありがとう」と感謝したくなるが、
(ギプス1ヶ月で)痒く痛い右手と、なかなか完治しない全身の痣が教えてくれたのは、「東京にいたって、救急車が呼べない場所はある。これ以上、自然のなかに深く入って遊びたいなら、自分の身は自分で守れ~」という事実。
楽しい遊びは、要求されるものも多いのだ。
*
ウィルダネス・ファースト・エイドが、日本の赤十字や消防署の教える「救急法」と決定的に違うのは、「すぐに医療機関に搬送できない場合」という条件のなかでの対処法、という部分。119を押せば数分で救急車が来てくれない場合(大自然の中、災害時・・・)、傷病者を、死なさず、状況を悪化させず、どのくらいの緊急度をもって、緊急避難(evacuation)させなくてはいけないかを判断する、その「判断する力」を教えてくれる講習なのだ。
たとえば、骨折の固定。「そこにあるものを使い、要求を満た」せばよいので、日赤の美しい三角巾巻き方講習の先生たちが見たら卒倒するような巻き方でも大丈夫。テントポール、マット、ストック、服・・・、血の流れを止めず、患者が楽な姿勢で、怪我した部分がきっちり固定されていれば、その項目は合格。
骨折、と書いたが、医者でない私達にとって、その怪我が骨折か捻挫か脱臼か、どんな名前の怪我であるかは区別できなくてよい。必要なのは、「その部分は、怪我によって、もう使えないの?まだ使える?」「この状態は、ヘリコプターで搬送するべき?一刻を争う?」かを判断できる力。
(日本人の考え方の癖?として)、きっちりとした正解がほしく、「このケースは、このやり方で合ってますか?」という質問が飛ぶと、答えは常に、「It depends。状況によります」。
傷病者役、救護者役に分かれて何度も繰り返される実習でも、聞かれるのは「何故あなたは、そう判断したのですか?」という考え方の部分で、それが、論理だったものであれば、処置が他の人と違っても、合格となる。
インストラクターが、「人間のからだは、何よりもよくできた精密な機械です。車の故障はバンパーを開ければいいけれど、人間は・・・、たとえば頭蓋骨は、簡単には開けて見ることはできない。でも、いろんなサインを出してくるから、そのサインを読み取れれば、故障箇所と状態と緊急度がわかるのです」と、初日に力説していた一言が、印象的だった。
*
WAFAは、4日間で受講可能。からだのサインを聞けるようになること、何が命に関わるのかの「判断基準」は、知っておくと、万が一の時にとても安心して対処できるので、山に行く人たちはもちろん、街で生活する人たちも、知っておいて損はない知識、ぜひぜひお勧めしたい講習です。
2009-12-02
おとなの宝探しは自由と責任を前提に(ロゲイニング)
▲Juni提供。わたしは宝探しに夢中で、この日は写真どころじゃなかった。
このたび、夢中になりそうな、新しい遊びをみつけました。
1.森を走るのが好きだ
2.山を登るのも好きだ
3.道路を走るのはキライじゃない
4.知らない道を歩くのが好きだ
5.負けず嫌いだ
6.パンクチュアル、ということばが好き
7.チームで動くのは嫌じゃない
8.こどもの頃、わざと知らない小道に入って迷子になってみた
9.こどもの頃、宝の地図を書いて(眺めて)わくわくしていた
という人(=それは私、)にぴったりのこの遊びは、「ロゲイン」という、不思議な名前がついている競技。
詳細は協会の案内ページに譲るとして、要約すれば、時間内(今回は5時間)に、宝の地図とコンパスを両手に、目の前に広がる景色と睨めっこしながら、山の上や谷の中に広く隠されている宝の山(チェックポイント)を、なるべく沢山探しておいで、というレース。
チーム制なので一人では参加できないし・・・と、ロゲインの名前を知り、興味をもってから半年、先日、機会あって、ようやくレースに参加することができ、富士山の麓を走り回ってきた。まだ興奮さめやらぬ今日は、「初」体験の感想を。
*
与えられる地図は、レース開始の10分前。そのわずかな時間で、宝物のザクザク度(=ポイント数)を計算しながら、ついでに、上り下りのルートの厳しさも見極めながら、その日のルートを効率的に考える。ここで求められるのは、冷静な情報処理能力。無闇に走っても、いいポイント数は稼げない。
実際にレースが始まると、宝の地図との睨めっこが続く。
地図読みは・・・、アラスカで鍛えられたとはいえ、あの広大で、ある意味、とても分かりやすい地形のなかを歩くのと、里山で、生活道の入り組んだ場所とは、どうも勝手が違っている。1/30000(1センチが300m、の縮尺)地図と睨めっこしながら、1日中、「はい、次3mm・・・、ええっと、90m進んで左ね」「あ、この牧草地、3本だけ杉が生えてるね・・・おお、地図にも、ちゃんと針葉樹林マークが・・・」と、本当に地図を「読み込む」という体験はとても新鮮。
1日そんなことをしていたら、すっかりと、地図の1センチはタラタラ走ると2分、という感覚が、頭でなくからだで理解できるのが嬉しい。1枚の地図が持つ情報量の多さに圧倒され、地図好きの心をくすぐられる。
さらに、これは、一人ではなく、2~5人のチーム競技というのも絶妙なスパイス。今回、急遽チームを組んだわたしたち4人組は、元登山部がいて、トライアスリートの体力勝負の若者がいて、ムードメーカーのいつも微笑みを絶やさない女性がいて、ただ鼻息荒い(けど体力が追いつかずにバタバタ走る)私。それぞれのよいところを上手に引き出し、弱いところをカバーしあいながら進む時間は、ソロで走っていては味わえない楽しさ。
初めてだし、トップを狙うわけではないため、常に全速力で走り続けるわけではない。ジョギングしながらおしゃべりを楽しみ、目の前に広がる真っ白い富士山を堪能し、どこまでも広がる牧場の真ん中を走りながら大きく深呼吸しては、牛の香水を全身の細胞にくまなく巡らせる。普段なら見過ごす滝を眺め、お楽しみポイントで待ち受ける豚汁は、つい、2杯目をおかわりして優雅なランチタイムにしてしまった。
参加目的の自由さも新鮮。本気のレースモードで走り回るのもあり、親子・カップル参加でピクニック気分もあり、普段のジョギングや山登りの目先変えたバージョン、という位置づけもあり。自由(時間をどう使うか)と責任(ルートがないので、地図見て自分で判断しないといけない)が伴うレースって、普通のマラソン大会では味わえない。
200組が参加していても、走り出す方向はバラバラで、周囲に惑わされることがなく、条件が許せば、道を行かずとも、直線近道ルートを選んで藪漕ぎも自由、というのは、人の後をついていくのがキライな私には、レースなのに、こんなに楽しくていいの!?と大興奮。時折すれ違う他チームとは、エールを送り合い、ときには、一緒になって宝探し。
今回の結果は・・・。
山のてっぺん好きなわたしが、「尾根を直登し、頂上のポイント高い宝物を探しに行こう」と主張、道なき道のルートで予想以上の時間をくってしまい、制限時間に43秒遅れてまさかの減点を喰らうが・・・、まあ、楽しく走れたので、ヨシ。満足な時間だった。
このブログをチェックしてくれている走り好きの皆様、これは、相当に楽しい遊びです。地図読みの練習兼ねて、ぜひ次はご一緒に!(ただし出るからには本気モードで宝探しします)
(海外バージョン出てみたいぞ。カナダの大会調べるか?)
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