2009-09-02

雲と大地の境目で(ブッシュプレーン)


誤解していた。

ヒコーキは、私が最近考えていた、「極北の自然に出会うためには、足でカヌーでカヤックで犬橇で、つまりはエンジン動力フリーで移動すべし」という基本路線からは対極のところにある、と。人間の叡智が作り出した文明の産物である乗り物で、この自然にカンタンに分け入っていくのは、「ズル」じゃないか、と。



そもそも、ヒコーキ門外漢の私(及び、この文章を目にしてくれた人の多数)にとって、飛行機といえば、「成田発シアトル行き快適なジャンボ機空の旅、を思い浮かべるものだ。そうでしょ?

コックピットには沢山の計器それらはコンピュータを駆使してボタン操作で動くもの。客室内は快適で、シートベルト着用サインが消えれば、トイレにも行けるし、立ち上がってエコノミー症候群を解消すべく屈伸できる。お金を出せば180度フルフラットシートで寛ぐことだってできる。快適安全な移動手段。



ところが、今回、私が乗った、二人乗りの小さなブッシュプレーン(軽飛行機)は、上記の常識を全て覆す、ヒコーキという名前だけが同じの、まったく別の乗り物だった。

まず、その「狭さ」を説明すると、1週間分の荷物を入れた70Lのバックパックをそのまま積み込める空間などないので、小分けにし、空いた隙間にぎゅうぎゅうと積み込む。バックパッキングの準備よろしく、重さを100g単位で気にしなくてはならない。

荷物を押し込み、狭い入り口から、よっこらせ、と、後部座席にやっとのことで座れば、可動範囲は手足とも3センチ、もし閉所恐怖症の人がいたら、5分で気分悪くなってしまうようなギリギリの空間。もちろん「途中でトイレ」というわけにはいかないので利尿作用激しい朝のコーヒーは厳禁。


そんな小さなハコの中に閉じこめられていれば

この吹けば飛ぶような小さな機体が、意地悪な顔で待ち受ける、ぶ厚い雲の下を飛ぶときの、または横風強い滑走路に降りなくてはいけないときの、ヒリヒリとした前席パイロットの緊張感は、否が応でも後部座席にヒシヒシと伝わってきて

いくら鈍い私でも、これは、車で道路をドライブする、の延長線上にあるような、機械任せの気楽な移動手段ではない、と気づかされる。

私の、浅はかな「飛行機」への、いや「ブッシュプレーン」そしてそれを操る「ブッシュパイロット」なる人種への認識は、今回の1週間の空の旅で、180度、ひっくり返ってしまった。




私の心より移り気なアラスカの空は、分単位で表情を変えていく。穏やかな青空のなかへ飛び立ったはずのヒコーキは、数分後、凶悪な分厚い雲に包囲される。

雲の中に入れば、すべての世界が真っ白だ。雪の中でのホワイトアウトを3次元でやっているようなもの。上も下もわからなくなって、不確実な世界に放り込まれた心細さから、血の気がひいていく。そんなときですら、前席の彼は、「パイロットという人種は、気象予報士よりもよっぽど天気のことを分かっているんだ」と、こんな気まぐれな天気は何てことはない、いつものことさ、と嘯きながら

操縦席についたよくわからない計器類
航空地図
GPS
滑走路ガイド
雲の様子
気圧の変化
風の向き強さ
天気の変化
翼に積んだ燃料の残量

その他もろもろの条件を、すべてが刻々と変わっていく状況のなかで判断し、飛ぶ方向、着陸場所を決めていく。しかも時速100マイルのスピードのなかで、だ。これは、空を飛ぶことすら信じられない私から見れば、これは、ジェットコースターに乗りながら冷静に微分積分の問題を解いているような、曲芸師のような芸当だ。

そして着陸。砂利道の滑走路はもちろん、滑走路じゃないところにも、楽々と降りてしまう。それがブッシュプレーンなのだと言われれば、まあ、そうなのだけれど、

さすがに、降りた瞬間に海水浴を楽しめそうな細長い砂浜にビーチランディングをしたときは、緊張するのも忘れ、ただただ目を丸くするしかなかった。



でも、この
どこでも飛べて
どこでも降りられる自由というのは

言い換えれば
安全を人任せにしない
命を含めたすべての責任は自分でもつという覚悟と引き替えに成り立っているもの

自由への切符は
自然と対話できるだけの確かな技術と
責任を引き受けるだけの心の強さ
不安と真正面から向き合うその勇気が
引換券となり手に入る



ここで自分の例を引き合いに出すのは、あまりにもレベルが違いすぎてどうかと思うが、数年前、自分がアラスカのアウトドア学校の門を叩いた一番の理由は

アラスカの、文明の力では太刀打ちできないどうしようもない広い広い大地を、誰の力も借りず、自分の力で、自分の足で、もっと奥まで入っていきたい、道がなくても自分で道を切り開いてどこまでも力強く歩いていけるだけの

自信とそれを裏付ける技術が欲しかったから



休憩日、ツンドラの茫洋とした大地を歩いていて、ふと私が地図読みに自信がなくなったとき、「GPSに頼るな。地図が読めるというのは、ひとつ自由を手にすることだ」と言った彼の言葉に、はっとした。

自分と次元は違いすぎるかもしれないけれど
私のレベルで分かる範囲はここまでだから仕方ない


この人が、ブッシュパイロットとしてアラスカの空を自由に飛びたいと思った大きな理由は

自然の美しさに参った、というよりも
自分を試される自然の厳しさに惹かれたからではないのか


冒険家に特有の 、ヒリヒリとするような、 どこか狂気じみた情熱に、本でもなく映画でも体験談でもなく、現場でリアルに触れられたことは、今回の旅の、大きな、いや一番の収穫だった。


夏の3ヶ月という限られた時間、矢のように過ぎゆく時間を惜しむかのごとく、今もアラスカの空を休むことなく飛び続けているのであろう日本人ブッシュパイロット、湯口公の、ナイフの刃先のような緊張感を思っては、つい背筋を伸ばしつつ

「無理せず安全に飛んでください」なんて無粋な言葉は、どうやったって届きそうにもないので、最近読んだ本に書いてあった言葉を添えて、厳しい挑戦への成功と無事を、遠くからただただ祈りつづけることとします。



Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.

Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom

   危険から守り給えと祈るのではなく   
   危険と勇敢に立ち向かえますように 

   不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
   自由を勝ち取るために耐える心を願えますように

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