自分の力で十分に語る自信がないので、人の言葉をお借りします。
「ぼくたちアイヌにとってクジラは親しいものでした。・・・肉はありがたく頂いて、魂は神の国にお送りする。・・・肉や脂をもらうのは、同じこの世界に生きる仲間だからなんです。・・・アイヌは口に入れるものはすべてありがたいと思って口にいれた。自然から奪ったのではなく頂いたのだと」
「小さな社会ではそれができる。狩猟採集社会では食物の獲得から消費までぜんぶ見える。しかし現代のグローバルな社会では食べ物はいきなり目の前に現れるんだよ。もとの生きた動物や植物としての姿は見えないんだ」
(「氷山の南」池澤夏樹、東京新聞朝刊連載小説より)
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正直なところ、あんまり得意ではないのだ、わたしは。
東京という大都市、「現代のグローバルな社会」で育ってきた自分にとっては、肉はスーパーの明るい蛍光灯の下、陳列棚に食べる分だけのサイズで発泡スチロールに乗っかっている赤い切れ端の方が安心するし、野菜は、土やイモ虫なんかついていないキレイな状態で、やっぱりスーパーの棚の袋に3つ4つ入っていてほしい。
さっきまで森の中を歩き回っていた「かわいらしい」動物をバラバラに切断し、血を抜き、皮をはぎ、毛をバーナーで炙ってきれいにして、よく研いだナイフで切り分ける、という状況には、できれば近づきたくないし、
人参が茶色い土の中に埋まっていて、お金出さなくても、土を掘れば食べ物がでてくる、という方に、感覚的に違和感を抱いてしまうというのが本音だ。
ただ、アラスカを何度も訪れていると、「俺が取ってきたんだよ」という、クジラ肉やトド肉やムース肉やカリブー肉でもてなされる、というの洗礼を受ける機会は一度や二度ではおさまらない。もし、偶然に、肉の解体中に遊びにいこうものなら、肉を切り取って1ポンドの塊をジップロックに分ける作業を一緒になって手伝うことになり、慣れていない大きさの、存在感溢れる赤い塊に半分気が遠くなりながら、ナイフを入れることもある。
ただ、そうやっていただく食べ物は、普段のスーパーで買うものとは全く違う種類のものなのだ。
食物と私のあいだに普段存在している、貨幣という得体の知れぬ仲介を取り除くと、世界は単純にわかりやすくなる。自分が口にするものは「大地からのいただきものだ」という紛れもない事実を、否が応でも、確実に認識させられる。少しコワイとビビりつつも、肉の塊にさわり、自分が何を口にしているのかを知ることは、絶対的な安心感を感じる行為だった。
この感覚を覚えてからというもの、肉を自分で獲りにいくことはさすがにないが、時間をお金で買わなくて済む限りは、コンビニエンス・ストアに並ぶ、どこからやってきたのか全くわからない弁当には、手を伸ばせなくなった。
それらが、とても便利なのは100も承知のうえで、さらにいえば、自分もその便利さを十分享受しているというのを認識した上で、かなり勝手な言いぐさではあるけれど、その不自然な便利さには、敢えて疑問を投げかけたい。肉も魚も野菜も穀物も、できるかぎり、最初の状態から近いところにあるものを選んで口にしたい。
食べ物はスーパーの陳列棚に並んでるとしか、普段認識できない都会人には、ときおり、命を喰らう機会があったほうがいいのだと思う。
===2009年度アラスカ飛行報告会 ===
下記日程にて、野営飛行舎2009年度アラスカ飛行報告会を行います。
準備の都合上、参加のご連絡は、1月31日(日)までにご連絡いただけますと助かります。(会場の都合上、参加いただける上限人数を決めていますが、早くも残席少なくなってきていますので、どうぞご予約はお早めに)
当日お会いできますこと、楽しみにしております。
日時 :2010年2月12日(金) 20:00-22:00 (19:50受付開始)
場所 :SOiL CAFE (目白駅徒歩1分)
豊島区目白3-14-19 / 03-5982-8885
参加代金: 4,000円+ドリンク代別途 (Cash On 500円/drink)
内容:
ブッシュパイロット湯口公氏の2009年アラスカ夏の飛行報告(聞き手:青崎涼子)
北海道で今年獲れたエゾシカ・ジビエ料理を含む立食パーティ
お申し込み: 1/27付、満席となりました。Thank you for all!
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2 comments:
すごくすごく共感します。
アラスカに来るたびに、人間と自然との境界のなさを感じさせられますね。
フェアバンクスでもダウンタウンから一歩外に出れば、
電気も水も、家も食料も全部自分でつくり出すような世界で…
なんというか、「生き抜く力」というものを日々感じています。
@Alaska poker flat & Fairbanks
20代の頃に思い詰めて、鶏から始めて羊まで包丁で捌いて食べてみました。40代の今では、昔のようなこだわりはありません。文明国で生きる以上、死から遠ざかり、第一次産業から遠ざかるのは仕方のないこと。しかし私が死んだら、今まで無数の生き物を殺して食べてきたのだから、肉食獣に私の死体を食べて欲しいと思います。それがフェアだと思うから。もしくは細かく砕いてもらい、有機堆肥として植物の栄養になりたい。
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