2009-02-20

マラソンの話題、に見せかけた人生論



▲パクったイラストの詳細は このページ


マラソンの話の続き、と見せかけて、たまにはまじめな人生論。---何故私は、お金を払って何十キロも走るのだろう。


青梅マラソン当日のできごと。会場に向かう私は、更衣室が分からず、そばにいたガードマンに声をかけた。親切な彼は、ご丁寧に更衣室の入り口まで案内してくれたのだが、その数分の道すがらおこなわれた会話。

「こんな物好きたちのために街が1日麻痺しちゃって、すみませ~ん」

「いえいえ。頑張りますよね~。僕にはとてもできない。しかも、みんなお金払ってるんですよね?4000円だっけ?高いよなあ。普通にその辺走るんじゃだめなんですかね。」

「いや、ほら。普段と違って車道走れるし。途中で水もらえるし。沿道の応援も嬉しいから・・」

「はははっ。水は4000円もしませんよ!」


そう、こういう、「一見ツライ系イベント」は、興味ない人には、何でお金使ってまで!?という疑問を呼び起こす。自分でも、申込みの際には、チラッと同じことを思う。「え、私人混みキライだし、普通に、休日に河原走ればいいじゃん・・・。この数千円で美味しいモノ食べた方がいいんじゃないー?」

それでも、数千円、ときに万札を投資してしまう理由。

それは、今現在のヘタレな自分には荒唐無稽な高いハードルを数ヶ月後のある地点に定め、そのハードルを跳びこえるため、日々策を練り頑張る過程が、分かりやすくいえば、ゴール地点で感じる、「おお、私よくやったなぁぁぁ」という達成感中毒なんだな。
ただ「体力維持のために」毎日たらたらと走るより、「数ヶ月後(数年後)のあのハードルを跳び越えるために」走るほうが、毎日の軸がぶれないし、高く飛べる。遠くまでいける。


「無理かな?無理かな?できるかな?」から始まる第一歩だったから、そこに向かっていく毎日も、だからこそのゴールも、とても素敵な時間として記憶されているのだ。

2年前、一緒にマチュピチュみたクミさんは、旅の後にこんな感想をくれていて、私はそれがとても好き。

「ペルーに行って感じたのは、「人の持っている力の大きさ」「人の優しさ・暖かさ」「自然ってすごいな!」ってことです。空(手が届きそうな青い空)・月(満月きれいだった)・星(満天の星)・緑・花・風がすごくきれいで、涙が出ました。ただ、その空気に触れられるだけで幸せを感じました。

4200mの峠越えなど、決して楽ではありません(ていうか、かなりきついです)。かなり筋肉痛になりました・・・でも、前を進む仲間がいる!!遠くから声をかけてくれる仲間がいる!!どんなに遅くても待ってくれる仲間がいる!!そして、とても頼れるガイドや心温かなポーターさんやシェフたちがいます。

大人になると、めちゃめちゃ頑張ることって減ってきていると思うんです・・・今回の旅で「私もこんなにがんばれるんだ!!」って、すごく自信がつきました」




「自然の美しさ」が、私がつくりたい旅(時間)のひとつの軸なら、もう一つの大きな軸は、「理想に行き着くまでの心理的肉体的遠さを克服していく過程と、それだから味わえる達成感」。その軸の両方が一緒にあってもいいし、どちらか片方でもOK。



この2ヶ月ほど、足の小指の先っぽくらいチョコンと、異分野に・・・、ファシリテーションやら環境に、首を突っ込んでいる。そこで出てくるのが、バックキャスティング、という方法論、で、

洞爺湖サミットの、「2050年までにCO2排出を半減させるには」という視点は、遠くの理想的なゴールから振り返って、じゃあ今何をすべきか考える、という意味で、私にとっての3月の荒川マラソンと同じだよな、(・・・え、一緒だよね?ほら、同じこと考えている人いるし。)と思う今日。


個人的な「2050年CO2半減」目標は、他にもいくつかあるけれど、口にするのも恐れ多いハードル高いものは、まだ、ここでは黙っておこうっと。

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