2010-04-29

48時間後に出会う富士山は(2010年トレイルウォーカー)


金曜日
小田原出発箱根まで18キロ。
小雨の中、歩く歩く。
まだまだ満開の山桜の淡いピンクの傘の下。

土曜日
箱根発駿河小山まで18キロ。
どしゃぶり のち 雪泥の中を、歩く歩く歩く。
山道は、600人近くの参加者に捏ねられ耕され、田んぼのようにどろどろになっていていた。久々の泥遊び。

土曜日23時。
ようやく雨は止み月と星が姿を現す。
駿河小山発、富士箱根トレイルを山中湖まで21キロ。
月が足下をほのかに照らしてくれていた。ヘッドライトを消して、静かに、静かに。森の動物たちを、里の人たちを起こさぬように、歩く歩く歩く。

夜中2時。
富士山の黒いシルエットの向こう側に、朱色の月が静かに沈んでいった。吐く息は真っ白、寒くて立ち止まっていられないので、足踏みしながら、しばし見とれる。

明け方4時。
山がざわざわと目覚め始める。鳥の声。シカの鳴き声。キーンと冷えた空気。東からの太陽の光で赤く染まった落ち葉のトレイル。朝の時間帯だけが持つ強烈なエネルギー。

日曜日朝7時。
地面は一面の霜柱。ジャリジャリジャリと踏み散らかしながら軽快に丘を登る。

登りきった丘の上で出会う、真っ白に雪化粧したばかりの完璧な富士山。完璧な青空。カナダの夏を思わせる、混じり気のないぷちぷちとした気持ちよい空気。

小田原から山中湖まで、車に乗ってしまえば1時間で到着できるけれど、これだけ時間をかけて出会う富士山って、なんか特別だ。

だから私は歩くんだ。
ゆっくりと、時間をかけて。
歩いていなければ出会えない景色たち。



2010年Oxfam Trailwalker
3度目のラストウォーカーとしてお手伝い。

報酬は、参加者のゴールでの笑顔。
特別ボーナスは、森からのメッセージ。

2010-04-28

花瓶のバラ、コーヒードリッパー、朝4時のおにぎり

友人の家に招かれて夕食をいただく。テーブルの上に飾られた一輪のバラの花からかすかな香り。
前日までガイド業で家にも帰れない多忙な日々だったと語りながら、キッチンに立ち楽しそうにフライパンを操る友。
食事だけでなく、その空間全てが、もてなしの心で満ちあふれていた。



飲み屋にて、マイ箸をさりげなく鞄から取り出しながら語る友。
「後輩の誕生日に、コーヒードリッパーを贈ったんだ。彼は、見るたびにいつも缶コーヒーを飲んでいるから」
そのプレゼントに込められた想い。



カナダの森の中で生活した夏、近くに昼食を買える場所はなかった。町の中にいても、レストランで食べれば軽く20ドルは飛んでいく。だから周囲の誰もが弁当を持ってきていた。それが弁当と日本では言えないほどの、タッパーに詰められた昨晩の残り物だとしても。

不便だから1日をきっちり計画し、予め自分で準備をしなければならない。面倒くさがると、還ってくるのは昼食抜きの空腹。

あの夏を経て、今、私はコンビニのおにぎりは買わない習慣がすっかりと身に付いた。たとえ朝4時起きしてでも、おにぎりを握っていく。米を買う量が以前の倍だ。

手作りのおにぎりは、コンビニの便利なそれよりも、圧倒的に美味しい。



毎日の、小さな、でも大切なことを
「忙しい」という理由で疎かにしないように。

バランス、バランス。

2010-04-27

指先で味わうフレンチ/クラヤミ食堂潜入記

▲写真、クラヤミ食堂ブログより拝借

肩が凝ったらマッサージに行くように。

五感が鈍ってきたら目隠ししてご飯を食べるといい。

感覚のツボが面白いほどにぎゅうぎゅうと刺激され、文明生活で凝り固まって鈍くなった感覚をやわらかくすることができるから。



昨年、闇を体験するイベントDialog in the Dark に行き、視覚を遮ることで得られる感覚がずいぶんとお気に召した私は、今回、「目隠しをしてご飯を食べるイベントがあるよ」と聞いて、一も二もなく飛びついた。

クラヤミ食堂。

神楽坂の裏道にひっそり佇む、こ洒落たホテルでいただくフランス料理。1万円を超す参加費は、今の私の生活にはずいぶんと贅沢な出費だけど、きっと払うだけの価値はあるはずだ。



入り口でアイマスクを渡され、ワインのふくよかな香りがプチプチと充満している会場へと案内される。席に腰掛け、真っ暗な2時間の始まり。手探りで、テーブルに置かれたナプキンを身につける。

一品目に気づいたが、フレンチ、というのがミソだった。
これが和食やイタリアンなら、使われている素材が分かりやすいし、過去の経験値から「知っている」料理を脳裏に思い描けるのだろう。だが、フランス料理なんて、一番馴染みが薄いうえに、複雑なソースで調理されてしまっているので、何でできているのか、自分の引き出しから引っ張りだしてくることが難しい。まあ、どれもこれも、「はじめて」出会う料理たちなのだった。

何を口にするのか分からないのは思った以上に不安なもので、正体を暴こうと、これまた、声しか分からぬ同席者(一緒に参加した友人とは別のテーブルに案内されている)と、「魚?」「いや、貝のにおい」「スモークされてるね」と、必死に情報交換を始める。

遮られた視覚を補うべく、残された嗅覚味覚聴覚触覚が、ぐるんぐるんとフル回転し始める。鋭くなった嗅覚は、ワインが赤か白かといった単純な違いを離れ、シャルドネとソーヴィニヨン・ブランの差ですら、簡単に認識できるほどだった。香りも味も全然違うのだ!


だが今回、一番使った感覚は、味覚や嗅覚でなく、意外なことに触覚だった。指先で得る情報。

指で皿の形をなぞる。四角。丸。ボーンチャイナの、ひんやりとした重さと固さ。ワイングラスの形もワインによって毎回変わってる。お皿の上にある食材を、触って確かめる。熱さ。冷たさ。やわらかさ。

指先で把握した情報をもとに、脳裏の真っ暗なキャンパスに、皿の上に描かれたシェフのアート作品を正確に描いていく。それは思っている以上にカラフルな絵となり、見ていないはずなのに、はっきりとビジュアライズされ認識されていく。

シェフのイマジネーションに追いつけるか。
想像力とセンスが試される。

このスープはガラスの器。スープの色は赤。
このきなこと抹茶のデザートにかけられたリボンは緑色。
アスパラガスが筆なら、墨汁役のソースは真っ黒に違いない。


食事を、単に味覚だけでなく、全体の構成、皿の大きさと形、色遣いと、他の角度から、ここまで楽しんだことが、未だかつてあっただろうか(いや、ない)。
舌と胃だけでなく五感全部がお腹いっぱいになった夜だった。



Dialog in the Darkとは少し趣旨が異なり、かなりイベント性の高い、都会人の遊びである気はするけれど、この闇ゴハン、悪くない。おススメです!

注:闇アルコールは、いつもより早く酔っぱらう。

【秘密基地キャンプ続報】5/4-5は亀の手を取りにゆく

▲新緑木漏れ日のトレイルが私を呼んでいる〜(西伊豆)

GW、天気良さそうです。

伊豆キャンプの夕食メニューが食事監督から送られてきました。
食材は「自分で取ってくる」が基本です。取ってこないとご飯が食べられないので、きっと皆必死になることでしょう。

-明日葉の天ぷら(山からその日摘んできます)
-ふじつぼ&亀の手のパエリア(みんなでその日にとります)
-カツオの酒盗のミルクスープ(かつおの酒盗は西伊豆の名産)


で、亀の手、って、何だろう?



先日みかけた、ふらの自然塾のキャッチコピーにぐっときました。
西伊豆には、あるね。全部が。


あなたの街に、本当の闇はありますか。
ナビがなくても、行きたいところに行けますか。
さいきん、裸足で歩きましたか。
森の中で、こどもと一日あそべますか。

どんなにインターネットやハイビジョンが進化しても、
自然をじかに感じることはできない。

それができるのは、ひとのカラダだけ。

風や音や光は、自然界の信号だ。
めざめさせよう、いまは眠っている私たちの感覚を。

ひとは、これからも
自然の中で生きていくのだから。


5.4-5 秘密基地キャンプ あと数人来れますよ!

日程  2010年5月4日(火/祝)〜5日(水/祝)
集合 5月4日 10:45 修善寺駅
解散 5月5日 14:00 堂ヶ島バス停

持ってこないでほしいもの  腕時計。分刻みの日常。イライラ。凝り固まったオトナな頭
その他詳細な秘密基地への入り口はここ

2010-04-19

【イベント】5.4-5 秘密基地キャンプ



「星の下で眠るのは理屈抜きに気持ちいいよね」
うんうん。

「焚き火って心が落ち着くよね」
うんうん。

「夕陽の色。波の音。風の肌触り。朝の気持ちよさ。
忘れちゃいけないものたちだ」
うんうん。

こんなことは、コンクリートのビルの中でいくら話したって駄目なのだ。感じなきゃ。



5.4-5 秘密基地キャンプ


日程  2010年5月4日(火/祝)〜5日(水/祝)
集合 5月4日 10:45 修善寺駅
解散 5月5日 14:00 堂ヶ島バス停


持ってこないでほしいもの  腕時計。分刻みの日常。イライラ。凝り固まったオトナな頭


その他詳細な秘密基地への入り口はここ

i-movieにどっぷりはまった日

▲ Dawson Trail, Yukon Mar2010 photo by Yasuko

最近入手したおもちゃMacBookProを使って、3月の犬橇キャンプの写真をカッチョイイムービーにしたいと、いろいろいじってみたら、まさかの15分の大作ができた。

他人のスライドショーをみるたびに、何だこの技術は、と驚いていたそのすべては、i-Movieのおかげだった。なーんだ。

というわけで、2010年度のスライドショーは、ちょっぴりバージョンアップ!



<犬橇写真交換会>
4/25(日) 18時頃〜 新宿御苑の居酒屋らくだばにて
今年/昨年の参加者とその知人と関係者、とこのページみて興味ある方もどうぞ

<極北アラスカの夕べ/夏>
5/13(木) 19時〜 新宿御苑 地球探検隊にて
8月のアラスカシーカヤックのご案内 & ついでに犬橇キャンプ報告も
詳細こちら

2010-04-08

月の物語第三章:満月の狭間の闇夜、ダグラスファーの森






都会的資本主義的価値観でずっと生きていた数年前、アラスカの大地が私のカチンコチンの頭を叩き、それをきっかけに違う価値観を追い求めるようになった。この新しい価値観は、説明をしだすとどこか抽象的でスピリチュアルで、ちょっと精神世界に入ってしまいそうな微妙に危ういラインなので、まだまだ学習中の私は深くを語ることはできないが、以下のことは絶対的な真実だ。

森の中にいると落ち着く。
森ともっともっと深く対話できるようになりたい。


そんな私にとって、カナディアンロッキーの森の奥深くでひっそりと暮らすMr.Wは、格好の教師だ。動物と鳥と木と自由に会話できる彼と一緒に歩いていると、自分までもが、いつもよりも少しだけ木々の声が聞こえる(気がする)。ユーコンの帰り道、1年半ぶりにカルガリーの空港へ降り立つ。Mr.Wの家を訪ねると、熱狂的に尻尾を振って甘えてくるゴールデンレトリバーのオルカと共に、彼は温かく私を迎えてくれた。

私がロッキーに到着したこの日、「おやおや、北から一緒に寒波も連れてきたのかい?」と笑われるほどに久々に大雪だった。雪は、音もなくしんしんと降り積もり、みるみるうちに人の足跡を車の轍を消していく。庭の大きなアスペンの木は、あっというまに白く雪化粧していき、橙色の暖かな街灯に照らされた小さな街は、幼い頃絵本で目にしたクリスマスの景色のようだと錯覚する。幻想的な美しい夜だった。

テレビのないこの家は、犬の鳴き声を除いてはとても静かで、最低限に照らされたオレンジ色の電球の下、用意してくれた夕食をいただく。

夕食は、ミュール鹿のステーキだった。

友達が仕留めてきたのを、特別に分けてもらったんだ。
Mr.Wは誇らしげにそういうと、慣れた手つきで、乾燥させたファイアーウィードとジュニパー、少々の赤ワインで下味をつけ、よく油の馴染んだ鉄製フライパンで軽く焼き目をつける。夏に極北を訪れれば必ず見かけるファイアーウィードが、まさかハーブとして口にできるとは思ってもいなかったが、北の草は、押し付けることのない優しい香りで鹿肉とうまく調和していた。

脂肪の全くない、力強い噛み応えある赤身の肉は、量をそれほど口にせずとも不思議と満足できる質感だ。生き物の魂が、巡り巡って私の口へと入ってきたと確信させられる。BC州のオカナガン産の赤ワインを一口。添えられた野菜のグリルとブラウンライス(玄米)も、素朴な調理なのにしっかりと滋味深く、「きちんとした豊かな食事」に、お腹も心も満足した。

夕食後、ルイボスティーを大きなマグカップに入れて寛ぐ。ナショナル・ジオグラフィックの特別号をめくって写真を楽しみつつオルカの遊び相手をしていると、ひょんなことから、会話はダグラスファーの話になった。

ダグラスファーは長生きだ。
樹齢何百年なんていう木はざらにある。

この近くにもある?
爺さん巨木に会ってみたいな。

Mr.Wは、頷いた。
ダグラスファーの森へ散歩にいくかい?

私は一も二もなく首を縦に振る。

ただし、条件がある。
「森の中を歩く間、ヘッドライトは点けないこと」
「話をしないこと」
この二つが約束だ。守れるかい?
Mr.Wはそう言うと、車のエンジンを温めるためにガレージへと消えた。

外の雪は止んでいた。
私は、体を冷やさないよう、急いでありったけの防寒着を着込む。ちょっと考えて、ヘッドライトはポケットの中に忍ばせることにした。真っ暗な森の中、もし迷子になったらパニックだもの。

車は、近くの湖のほとりへと向かった。
雲の隙間から星が見え始めていたが、それでも月の出ていない夜は十分に暗い。

駐車場で車を降りる。
エンジン音の止んだ駐車場は、本来そうであるはずの静けさを取り戻し、目の前の真っ暗な森は威圧的な雰囲気で存在していた。森のエネルギーに負け、入り口で怖じ気づき足が止まる。そんな心を知ってか知らずか、Mr.Wは、私を置いてずんずんと歩き出しはじめた。後ろ姿を見失わないよう必死でついていく。

やがて、少し開けた場所に出ると、私から5mの距離を保ったまま、彼は気配を消し、森に同化した。森を深く知る彼が、私に蘊蓄をたれることはあまりない。この日もそうだった。入り口まで連れてきてはくれるものの、そのまま放り出された格好だった。

視覚を塞がれ、しゃべることもできない私は、ひとりぼっちにされ、戸惑う。

いったいどの木が私が探す木なんだ?

闇夜の中から、ほのかに黒いシルエットが浮き出てきた。目が慣れてきて自分が森の呼吸と同化してみると、月が出ていない夜でも、雪の上はわずかに光が存在し、漆黒の闇ではなかった。雪の白という色は、何かの光を反射していた。

そろそろと歩き出し、木に近づく。
幹を触る。葉を触る。
匂いを嗅ぐ。
葉擦れの音を聞く。

私が把握したダグラスファーは、長年の重みに耐えかねて少し腰が曲がり、幹からは、おばあちゃん家の畳の部屋の冬の午後の日溜まりの匂いがした。

なんだそりゃ、な喩えだが、懐かしく知っていて温かい、そんないい匂いがしたんだ。

5分?10分?
どれだけその場所にいただろうか。十分にダグラスファーとの会話を楽しんだのを見届けたかのように、どこかに消えていたMr.Wはまた姿を現し、私たちはゆっくりとその森の中を静かに散歩しながら、駐車場へと戻った。

途中、ビーバーダムで足を止めた。風もなく鏡のような湖面のその池をじっと見ていると、無数の星が映りこんでいて、星の明るさを想った。

近くの木の上では、一羽の梟がホホホホホ、と鳴いていた。


2010-04-04

月の物語第二章:3月二度目の満月、山桜の下の秘密基地


▲Nishiizu, Shizuoka

3月二度目の満月の夜は、外で月の光を浴びながら眠ろうと決めていた。数年に一回しかなこんな特別な日に、コンクリートジャングルの箱の中にいちゃだめなのだ。

というわけで、やってきたのは、静岡の秘境、西伊豆。
伊豆は東京から近そうに見えて、実は遠い。特に、今回訪れた西伊豆は鉄道が通っていないため、北からも東からも、山道をえんやこらと峠越えせねばならず、この日私は家から5時間!もかけて、目的地にたどり着く。5時間ってば、外国なみの遠さじゃないだろうか、と思わせるほどの遥々感だ。

このあたりの海岸線は、険しく複雑に入り組んだ崖となっており、その崖の下にひっそりと存在するこの日の寝床は、距離以上の秘境っぷりを醸し出していた。なるべく文明社会よサヨウナラな場所を望む私にはぴったりだと、一人ほくそ笑む。

目指す寝床(キャンプ場)は、崖の真下にあり、車は入れない。通常は近くの港から船で上陸するらしいのだが、船酔いクイーンの私は最初から海アプローチを排除し、山桜&アロエが鬱蒼と(極北の植生に慣れた自分からみれば)勢いよく生い茂るジャングル崖を直滑降で下るという陸路を選ぶ。

自由気ままに生える原生林をかき分けかき分け進み、脛に引っ掻き傷を作りながら到着したそこには・・・楽園が広がっていた。

招待してくれたキャンプ場のオーナーHassyKenchanは、
「ここは何もないけれど、何でもある大人の秘密基地なのだよ」
とイタズラ小僧のような表情で得意げに説明してくれ、まさにそこは、原生林と太平洋独り占めの、まさかの原野スポットなのだった。

私が密かに心の中に掲げているモットーに「バージョンアップしたコドモ」的オトナでありたい、という一文があるが、この秘密基地は、このコドモココロのツボを多いに刺激してくれる。多分、ここを訪れた誰をも童心に戻らせるんじゃないだろうか。至れり尽くせりの観光的押し付けがましい提案など何もないので、目の前に広がる自然を相手に遊べるかどうかは、こちらのやわらかな心が試される。
場の力、そしてこの地に目を付けコツコツと開拓してきたオーナーたちの醸し出す雰囲気。これらは、ウエブサイトからは伝わらない、この場に立って初めて分かる感覚だ。

荒れ地から半年かけ、さらに現在も日々開拓整備を進めているHassyは、
「ここで時間を過ごしていると、日の出日の入りの時間、月齢、潮の満ち引き、海風と陸風に敏感になる。地球のリズムを体で感じられるようになった」
と呟いて、まあ、かっこよく聞こえるけど、その実情は、日々生えてくるたくましい雑草と突然現れるイノシシとの戦いなんだけどね、とこんがりと日焼けした顔で屈託なく笑う。

早速時計を外し、太陽と体内時計に従う。日頃被っている大人のクールな仮面を脱ぎ捨てて、童心にかえって天真爛漫に遊び笑い食べ(呑み)月光浴をし、ぐっすりと眠る。一緒にいた友人を、「bettyのそんな姿は初めてみたよ」と言わしめるほどに無邪気に遊んだ、日頃の凝り固まった頭を解きほぐすような爽快な時間だった。

ブルームーンよ、素敵な出会いをどうもありがとう。

and Special thanks to
大人の冒険プライベートキャンプ場 KenVillage


▲眺めよし。テーブルセッティングよし。男の人につくってもらった朝ご飯、最高によし。

▲秘境な割にはちゃんと電波が3本入るので、波の音を聞きながらのアウトドアオフィス。ここは理想郷?

▲太平洋に沈む夕陽にたそがれるふりして気になっている視線の先はビールなのだった。

▲登る・・・?登る!

月の物語第一章:3月最初の満月、極北の空のオリオン座



▲Dawson Trail, Yukon, Canada 03/2010


 2010年の年明け、1月1日は満月だった。

月は29.5日周期で満ち欠けを繰り返しているから、その月の最初の日が満月なら、月の終わりにも再度満月はやってくる。この、ひと月の中で2回目にやってくる満月のことをブルームーンというのだそうだ。3−5年に一回だけやってくる珍しい現象。

さらに、1月にブルームーンがある場合、2月は28日で終わってしまうから、3月に再度ブルームーンはやってくる。だからどうしたと言われればそれまでだけれど、そんな些細な事実が嬉しい私なのだった。



3月の最初の満月(ファーストムーン)の夜、私は仕事で極北ユーコンの大地に立っていた。翌日から始まる犬橇でのキャンプに向けて、小さなキャビンで過ごす1日。

東京に暮らしていると、ビルで空は覆われており、街灯で月の明かりはかき消され、分刻みのスケジュールで「忙しさ」に絡めとられてしまった日常生活のせいで、月の満ち欠けなんて気にすることなく毎日が過ぎていく。下手すれば、その日の天気すら知らずに1日は建物の中で終わっていく。

だからこそ、この特別な夜を、大好きな極北の大地の上で、150匹の犬たちの遠吠えを聞きながら月光を満喫できるなんて、なんて素敵な偶然だろうと、密かにご機嫌だった。

雪の白は光を反射するから、森のキャビンへと続く道は驚くほど明るくて、ヘッドライトなんてなしで十分に歩ける。それはほのかに明るい、なんてレベルではなく、たとえば自分の影は、くっきりと雪道に映し出されているほどの光量で、自然と、月の存在、太陽の存在に感謝する。

なーんて話を、ツアー参加メンバーにうるさくしたつもりはないけれど、2度目の満月を迎えた3月終わり、ヤスコちゃんがこんなコメントを寄せてくれた。

「 今、高台のマンションの窓から満月が見えます。月が遠く街のネオンと、近所のお墓を照らしてます。3月二度目の満月、帰国して最初の満月。涼子さんが、ユーコンで『3月はもう一度満月がくるよ』と言っていたのがずっと頭にあり、今日の夜をひそかに待っていたのでした。

MUKTUK初日、夕食を終えてみんなでCabinまで歩いた時に坂道を登りながら見た、明るい満月。月で影が出来ること、初めて知った。昨日は、マンションからオリオン座が見えた。キャンプ場で、犬達を背に南の空を見ると、トレイルのすぐ上に見えたオリオン座と星空を思いだしました。

満月にしても、オリオン座にしても、世界のどこにいても見られるもの。世界が繋がっている感じがします。この先、満月とオリオン座を見る度に、ユーコンの景色や旅を思い出すのでしょう」

私が提供する極北の旅は、時間にすればたった1週間、1年のなかの52分の1の時間でしかない。その中で、自分が感じている全てを共有できるわけじゃない。それは分かっているが、もどかしいことも多く、やり方が違うのかと時々疑問に思うこともある。

でもこうやって、誰かの心に種が蒔かれたと知ったとき、この信じる道は、このまま歩き続けていいのかもしれないな、と、少し楽になるのだ。ブルームーンよ、ありがとう。

「ああ楽しかったね」とその場限りでは終わらない旅を提供したい。
自然の中で過ごした時間が、旅の後もじんわりとした余韻を残してくれるような旅を。
都会の中で地球の声を聞いた瞬間に感じる、何とも表現しがたい、ふんわりと豊かな気持ちを運んでくれるような旅を、と祈りながら。