2009-09-30

朝の月 (Mt.Decoeli登頂記6)

@Kluane NP, Yukon Canada

誰もいなくて何もない、
頼れるのは本当に自分だけ、という大自然のなかで
一晩過ごすと

自分の息づかいと大自然の鼓動が徐々に重なっていき、

覚悟をした、ということなのか、自分の弱さを受け入れた、ということなのか、うまく説明はできないのだけれど、いつのまにか、「恐れ」は「畏れ」へと静かに変化し、心は、波ひとつない鏡のような湖面ほどに、しん、と静まりかえっていた。

しん、と静まりかえったのは私の心だけでなく、外の世界も同様で


朝、目覚めると
昨晩、私を恐怖に陥れた風は見事にぴたりと止んでおり
圧倒的な静けさのなか、

昨晩より一層白く雪化粧した山肌と
群青色の空に光る一筋の月が

おはよう

と、優しく微笑んでいた

凶悪な顔をした雲が(Mt.Decoeli登頂記5)

@Kluane NP, Yukon Canada

それにしても、風が強いのだ。
ブルーベリー林を超え、無事「熊問題」からサヨナラしたと思いきや、今度は、「風問題」勃発だ。


ただでさえ、山の中で、本当に本当に一人きりとなり、微妙に心細いところに、この、容赦なく吹きつける強風といったら、唯一露出している頬をみるみるうちに冷やしていく。頬とともに、一生懸命、気合いで灯し続けている、心のなかの小さな勇気という名の「明かり」も冷えてきて、心がそのままポッキリ折れそうになるくらい、風は相当に強い力で、私に向かってくる。

風がやってくるその方向に目を向ければ、ぐるぐる渦巻く凶悪な顔した雲が、西の山にべったりと張り付いて、この自然の中ではあまりにもチッポケな私とテントを見下ろし、あざ笑っていた。


寝ている間にテントが吹き飛ばされないよう、大きめの石を集めて補強しながら、数日前、ソロ登山家tomoと話した会話を思い出す。

「雨よりも雪よりも、風が嫌いだ」と言う私に、「そうかな。僕は好きだよ。風は、powerだから。遠くから、powerを運んできてくれるんだ。エネルギーの源、という感じがするな。」

ああ、tomoさん、やっぱり全然パワーの源じゃないよ、エネルギーを私から吸い上げる犯人だよ、この風は・・・、と、すっかり弱気になり、早々に、寝袋にもぐりこむ。



遠くで、マーモットが、キュゥー、と甲高い声で一声鳴いた。

ブルーベリー林を抜けて(Mt.Decoeli登頂記4)

@Kluane NP, Yukon Canada

寝床の絶対条件は、「ブルーベリーが生えている(=熊がでる)丘よりも上へ行くこと」 、と、レンジャーステーションで釘を刺される。

崖の下に、今にも枯れそうな、心細い水場あり。

タダだった(Mt.Decoeli登頂記3)


@Mt. Decoeli, Kluane National Park, Yukon Canada

今回目指すのはあの頂き。
9月半ば、すでに雪が積もっていたのは想定外だ。

さて、今回、この場所を選んだ理由はどれでしょう(答えはタイトル)

1.山の形が美しい
2.トレイルが存在しないので、人に会わない
3.マヌケにも移動手段をもたずにここまでやってきたので、町からそう遠くへはいけない
4.国立公園の微妙に外側に位置しているので、1泊9ドルのバックパッキング許可証をとらなくてよい。タダだ、タダ。ブラボー。

Grizzly (Mt.Decoeli登頂記2)

@Hains Junction, Yukon, Canada

この場所で、「一人きり」で山に入ることの何が一番イヤだって、それは熊との遭遇のリスクの高さだろう。しかも、よりによって、冬眠前でお腹すかせた、ベリーシーズンの9月に。

と、出発前の憂鬱な気分をさらに倍増させるのは、町のすぐそばで、まさかの道路から10mのところに出没する相手。ふぅ、とため息、出発前日の夜。

テントの中で、ベアスプレーの安全弁の外し方を、再度確認。

2009-09-29

自画自賛(Mt.Decoeli登頂記1)

@Kluane National Park with Mt. Decoeli, Yukon, Canada

タイマーで撮影した自分のスナップをどーんと載せるなんて、どんだけ自分好きだよ、というツッコミが入りそうだけれど、

この写真が、この夏一番好きな自分の顔。
もう数日間、顔洗ってなくて鏡みてなくて、結構汚いけれど、好きな顔。



1ヶ月前、アラスカで、「次は自分だけの景色を探そう」と自分に課した約束を果たした。ここ数年で得た経験値を総動員して、オフトレイル・ソロ・バックパッキング体験を無事成し遂げた瞬間の、まあ、「初めてのおつかい」終わった後の、晴れ晴れしい幼稚園児の気分、というところです。

詳細つづく。

緊張感がゆるゆると解けてゆく (Yukon River 2009)

@Little Salmon Village, Yukon Canada

5泊6日、160キロの間、文明から遠ざかった場所で、人を連れて旅をする緊張感、というのは、いくらそれが慣れたユーコン河であろうと、いくら衛星電話を持っていようと、いくらパドリングのガイドがついていようと、独特なもので、

特に今回は、諸事情により、自分がガイドに近い役割も担ってしまったので、いつもの100倍くらい緊張感を持って毎日過ごしていたから(→いつもが緊張感なさすぎ、ということです)

無事に全員がゴールまでたどり着いたときの、この瞬間が、2009年ユーコン河下りの、私の一番のハイライト。


終わってしまうのが惜しい、と思いつつも
文明社会に戻ってゆるゆると緊張感が解けていく、この瞬間が。

Reflection (Yukon River 2009)

@30 mile river, Yukon, Canada


河に映り込む雲が好き。
河に入りきらない空を見上げるのは、もっと好き。

朝7時、夜9時 (Yukon River 2009)



上)7:00 in the morning, 30 mile river, Yukon, Canada
下)9:00 in the evening, Lake Laverge C/G, Yukon Canada


ユーコン河1週間で目にする景色は、マチュピチュやグランドキャニオンのような華やかさは何もなく、どちらからといえば「地味」だと思うのだけれど、

朝方の、夕方の、地平線近くから注ぎ込む「光」の美しさに目を向けてみれば、それはそれは、息をのむほどの瞬間があちこちに散らばっている。

時計不要(Yukon River 2009)


@Little Salmon Village 手前、Yukon River, Canada


要約すれば、


「ユーコン河下り」の旅の良さは、それほどの覚悟なくとも、手軽に、忙しい現代の時間の流れから逃れられる・・・、河の流れの時間に呑み込まれる心地よさ・・・、じゃないのかな。

来年は、「持ってくるな物リスト」に、「腕時計」を追加しよう。
そうしよう。

2009ユーコン河カヌー下り (Yukon River 2009)

@Yukon River, Canada

そういえば、数週間前は恒例ユーコン河下りをしていたような気がする。

今月はいろいろありすぎて、もう記憶があやふやなので、詳細な報告は、参加メンバーのブログに任せます。(報告放棄。いいのか!)



<写真に酔いしれるなら>
「気分は放浪記 ユーコン川09」
http://tramping.exblog.jp/i15/


<毎日何が起こっていたか詳細を知りたい人は>
「楽苦爺わーるど ユーコン報告」
http://rugzyworld.seesaa.net/category/7040771-1.html


<まだ書かれていないけれどグレイリング釣り紀行が掲載されるはず>
「Tsuchida Yasuhoのブログ」
https://amo88.office.drecom.jp/tsuchida132028/

2009-09-25

人は20時間走り続けると瞑想状態に突入する(信越五岳トレイルレース100K)




2009チャレンジシリーズ:「100キロ走る」

第一回 信越五岳トレイルランニングレース
移動距離  :100km(→東京から熱海の先くらいまで)
累積標高差 :4650m(→富士山五合目から頂上までを3回分ちょっと)
制限時間 :22時間(途中関門3カ所。朝5時半スタートの翌朝3時半まで)

山の趣味も走る趣味もない、至って冷静で常識的な家族友人一同からは、「100キロ?は?」「物好き」「ば~か」と言われるのが明白だったので、今回はあまり事前に周りに言いふらすこともなく、さらに、直前まで忙しかったので、サポーターもアシストもぺーサーもなしで、一人寂しく出かけることとなった、このレース。


結果

20時間3分(も)かけて、ゴールを踏みました。


石川弘樹氏はじめ、主催者の情熱がひしひしと伝わる場面の数々、宿の人、周囲の人、地元の人の暖かな応援、一緒に走ったトレラン仲間たちの存在の大きさ。たくさんたくさんフォーカスしたいことはあるけれど、さすがに20時間も走り続けることは初めてだった、その自分の心の動きに絞って、今回は書いていこうと思います。(かなり長文)



2年前の春、OXFAMトレイルウォーカーのイベントで100キロを歩き通し、さらにフルマラソンやら、70キロのマラニックやらに出て、次の目標を「100キロのトレイル」に定めたのは、私のなかでは、自然な流れだった。

人は「どうしてそんなM気の強いことをやるのだ」と言うけれど、

ちょっと前までの自分なら「絶対に考えもしない無理なこと」が、「もしかしたらできるかも」「お、できた」と、少しずつ自分の限界値をあげていく心地よさ。体験から生まれる絶対的な自信は、自分を強くさせていってくれる。何より、ひとつ高みに上がることで、今まで見えなかった、より遠くの地平線が見え、目の前に広がる景色は、より深みを持ってくる。


だから、今度は、100キロのゴール地点に広がっている地平線がみたかった。ロードを走る、いわゆる「ウルトラマラソン」でなく、トレイルを選んだのは、森の中にいるほうが圧倒的に心地いいから。多くの時間を費やすその舞台は、自然の中にいるほうが、いい。

と半年前にはそう思って申込みしたものの、夏は、私の最近の一番大きな柱である「極北」に時間を費やすシーズンだ。大きな仕事3本と、その間にふらふらと旅をしていて、気づいてみれば、8月も9月も、月に数回十数キロずつ、と、そりゃ笑えるほどに、全然走り込めていないのだった。

走れないままに大会2日前に帰国する、という圧倒的な準備不足に加え、さらに、直前、30キロの荷物背負って山を歩いていたら、左踵を痛め、歩くのにさえ違和感がある。テーピングで応急処置はしたものの、ああ、大丈夫なんだろうか、こんな状態で、100キロも走れるのか私、と、かなり弱気な状態で、スタート地点に立った。

準備不足な弱気な自分を励ましたのは、「どうやったって死ぬことはない」という開き直り、か。

極北の原野で、たとえ数日でもひとり夜を過ごしていると、自然の条件如何では、命かかっているよな、今、というピリピリした緊張感がずっと抜けないが、レースは違う。トレイルとはいえ、コースアウトの心配はほとんどないし、ちゃんと身体からのメッセージを受け取りつづければ、必ずゴールにはたどり着ける、という安心感。100キロ、たった22時間の集中力と持続力と、自分を信じ切る諦めない力、それらを私は持っている、という根拠のない精神的な自信が、「大丈夫」と、肉体的に不安な私をなだめる。



朝5時半、小雨ぱらつくなか、ようやく明けてきた空の下、ぷぉ~ん、というラッパの合図とともに、100キロの旅は始まった。




長いレースも山道も、いきなりゴールを考えてはいけない。遙か遠くにありすぎて、気分悪くなるから。考えるのは、次のエイド、次の休憩地点まで、がいい。というのが、最近わかってきた。十数キロ、2-3時間なら、集中力も保てる、自分なりのルール。

レース独特の興奮からか、足の痛みはそれほど感じず、それよりも、今回のルートはあまり山頂を踏むものではなく、峠や尾根をぬって走っている、そのなだらかで気持ちよいシングルトラックに、嬉しくて夢中になりながら、楽しい気分で走っていたのだ。

明けゆくピンク色の空と遠くの山の稜線、
さわさわと太陽の光を嬉しそうに受けて揺れるススキ野原、
あと2、3週間で紅葉進んで黄金色のトレイルになるね、というカラマツ林、
アラスカとは大違いの巨木に育った「ドイツトウヒ」の静かな森、
斜度が微妙についていて、重力が私の足の運びを助けてくれる長い長い緩やかな下り坂、
沢沿いの瑞々しい苔がついた岩岩の間といきなり現れる樹齢数百年の巨木、
一人きりで走っているときに(→参加者500人なので前後誰もいなくなることが多い)ばったり出くわした野生の猿、
アラスカの鮭がRED GOLDなら、日本の場合はYELLOW GOLDのこのライステラスだねぇ、と、ため息ついた稲刈り前の田んぼ、


本当は、長くて辛い、林道砂利道上り坂、もあったはずなのだけれど、数日経た今思い出すのは、決して飽きることのない、長野と新潟の里山の美しさ。快調に足は進み、第一関門、52キロ地点は、出発7時間20分後に着いていて、あれ、このままいけば、結構いい線で走り終えるかも?くらいの、調子に乗って自惚ぼれがでてきた、そう、その直後に。


足を木の根っこに躓かせ(今思えば、疲れてきて足が上がっていなかったに違いない)、右足小指をしたたかに打った。その痛さといえば、「リビングで足小指をイスにぶつけて飛び上がる」、誰もが知っている、あの、キーンという痛さ。見てはいないが、爪が割れたような、嫌な感触を靴の中で感じる。


困ったことに、下り坂で、靴と爪が当たる度に、その、「キーーーーーン!」な痛みが脳内を駆けめぐる。その度に、ひょぅぅぅ、と深呼吸をしながら、思うスピード出せず、それでも小走りに進んでいくと、今度は右足を庇って無理に力をかけ続けた左膝が、ああ、私もうダメです、限界です、もともと踵痛かったんですし、と悲鳴を上げてきた。

次の第二関門、66キロ地点へは、14キロ進むのになんと2時間40分もかけ、右足のキーンと左足の悲鳴を無理やり押さえ込みながら、午後3時半に到着した。

着替えも食糧補給も後回し、ファーストエイドのテントに飛び込む。手当してくれた医師に、「もし続けるなら、ここから先は、上りはまだいいけれど、下りは「絶対に!!」走ってはいけません。今後走れなくなりますよ。あと34キロ、歩いても8時間あれば到着します。ゴール地点まではまだ12時間近くあるから、制限時間は大丈夫。歩くと約束するなら、行きなさい」と強い調子で言われた。

言われるまでもなく、もう、足は、走れるような状態ではなかったので、約束は守らざるをえない。

あとは、「ひとり走るのをやめて、たくさんの人に抜かされながら歩くのは屈辱ではない?」「最後10キロ地点で待ち受ける飯綱山登山。標高差600Mの急坂を登って、しかも降りる!ルートは、この足でできる?」「34キロって、走るのはいい距離だけれど、歩くのは相当長く感じるよ?」と、0.3秒くらい逡巡したが

一度決めたらやり抜くのがオンナでしょうー、
よし、34キロ歩こう、夜中3時半まであと12時間歩いてみせよう、

と、決めたのだった。ここ、第二関門は、自分の荷物を袋一つ分預けておけるドロップ地点だったので、夜の服に着替え、靴下も履き替えて気分を入れ替え、天気予報を考えてウインドブレーカーを雨具に持ち直し、入れておいたグレープフルーツジュースを飲み、温かいスープを飲んで、午後4時10分、出発した。

そこから先は、これまで66キロ走ってきた全身の疲れと、徐々に夜に向かって暗くなっていく心細さのなか、気持ちはずんずん沈んでいく。今までのの半分しか出せないスピードへの敗北感と、絶え間なく抜かれ続ける悔しさと、相変わらず靴が当たる度に脳にキーーーンと響く痛さとで、ふぇふぇと泣きながら、なかなか辿り着かない15キロ先の次のエイド地点(81K)までを、それでも、一歩ずつ進めば必ず辿り着くのだから、と、歩き続けた。

さらにその先9キロは、本当なら「時間を稼ぐ」はずのフラットな区間で、より多くの人に追い抜かれていく。皆、熊よけの鈴携帯が義務づけられていたので、5分、10分おきに、遠く後ろから、リンリンリンという音が聞こえてきて、その音はまた私の前方の闇へ消えていく。

最初は、鈴の音を聞く度にイヤになっていたのだけれど、途中、戸隠奥社の、しんと静まりかえった真っ暗な参道を歩いているうちに、疲れも痛さも悔しさもこの後に待ち受けるルートも頭から離れていき、いつのまにか、不思議と静かな気持ちになって、穏やかな時間がやってきた。神社という場がもつ神聖な「力」がそうさせたのかもしれないし、ただ単に、考えるのも疲れ果ててしまっただけなのかもしれない。でも、意識を飛び越したような、なんとも不思議な、静かな、しん、とした時間だった。

そして心穏やかに迎えた90キロ地点の第三関門通過は、21時20分。

ここからゴールまでの最後10キロは、このコースの核心で、最後の最後に、一番の山登りが待ち受けている。それなのに、非情な雨が降ってくるわ、霧がかかって視界3Mしかないわ、足下の岩場ガレ場はツルツル滑るわ、こんなルート歩きたくないと足は断末魔の悲鳴を上げているわ、

何の呪いなんだろう、いったい何の修行してるんだろう私は、と、また現実に戻り、ふぇふぇ泣いて、ずるずる鼻水たらしながら、長い長い山登り(降り)をしたのだ。10キロ進むのに、まさかの4時間かかった、あの辛い時間は、正直、今年1番のチャレンジだった、というくらい。

でも、すべてに終わりはくるもので、
夜中1時33分、100キロ地点にたどり着いた。
順位はもうどうでもいいけれど、269番目に。

20時間ぶりに、もう足を前に出さなくていい事実に戸惑っていたら、友達のヨーコちゃんが、おめでとう、と、笑顔で迎えてくれて、夜中2時、ふたりで、気の抜けたコーラで乾杯をした。


100キロ地点から見えた真夜中の地平線は、喜びや達成感というよりも、むしろ終わったという安堵感で、

着いたと思った頂上は、また蜃気楼のように消え去って、何かを掴んだのか、いや何も掴んでいないのか、私が目指していた頂上は、まだまだ先にあるようなのだった・・・。

2009-09-20

Red Gold アラスカの至宝




2009年夏ユーコン、
なかなかタフな旅となりました。

14日間で
シャワー浴びた回数:3回
ベッドの上で寝た回数:2回

「地球探検隊」ツアー同行・ユーコン河カヌー下り & クルアニ国立公園「初」ソロ・オフトレイル・バックパッキング敢行の、濃い濃い2週間より、無事帰ってきました。例によって時差ぼけ全開中、今朝も元気に4時起きです。

今回、5シーズン目の夏(秋)のユーコンでしたが、一番考えさせられることの多い、そして息をのむ瞬間の多い旅でした。

この旅の詳細は長くなるのでまた後ほどにして・・・

微妙に睡眠サイクルを外し、バンクーバーから東京までの8時間太平洋横断中、つい、映画を3本も続けてみてしまい、眼球の奥が、ぎゅうと疲れているなか、

何を好んで、翌日、また映画を見に行くのだろうバカか私は・・・と思いながら出かけた冒険&環境映画祭で出会えたのは、

アラスカの豊かな自然の恵みのなかで生きる人々と、物質主義のキャピタリズムの価値観で生きる人々との、価値観の・・・文明の衝突。

この夏、アラスカ先住民の村でRed Goldを惜しげなく分け与えてもらったことを思いだし、また、今自分が住んでいるこの街は、お金があれば何でもできる便利な資本主義社会である(のに、ワタシの財布の中身は基本的に寒々しい)事実を考えながら、

両方の価値観とも微妙に分かるよなあ・・・と、どっちつかずのコウモリの気分で、アラスカの類い希な原野の美しい映像に夢中になる54分間を、都会の片隅で過ごしてきました。。

Red Gold

「地球上で最大のサケの遡上が見られる2つの大きな川。クビチャック川とヌシャガック川。ブリストル湾に注ぐその源流で鉱山の採掘が計画されている。それが実現すると、鉱山から流れ出る有毒な廃液を貯蔵するために、史上最大の人工ダムが必要となると言われている。

それが実現すれば、ブリストル湾の流れにのってサケが遡上する川の生態系や周辺環境にも大きな被害が予想され、地元住民やフィッシャーマン達は団結しぺブル鉱山の採掘に反対を続けている。」

この映画祭、東京は連休中に、それからこの後、全国でも巡業予定。考えさせられることの多い映画です。お時間あればぜひどうぞ。

Banff Mountain Film Festival World Tour

東京 9/20(日)9/21(月・祝)9/22(火・祝) ゲートシティ大崎B1
松本 10/11(日) 松本文化会館中ホール
福岡 10/17(土) NTT夢天神ホール
名古屋 10/31(土) デザインホール
大阪 11/8(日) 松下IPMホール
札幌 11/14(土) 道新ホール
仙台 11/28(土) 太白区文化センター楽楽楽ホール

2009-09-02

景色が人を詩人にさせる


さて、アラスカの氷河カヤックツアーに話は戻ります。

ツアーの後、アンケートをもらうのですが、全員が、「旅の感想は、今どうしても書けないので宿題にしてください」と言って、紙を白紙のまま渡してきました。 本当に圧倒される景色にであったとき、すぐには言葉にならない、というのは、自分も経験あること。

忙しい日常生活に舞い戻ったメンバーから、それでも時間をつくって書いてくれた感想が届き始めたので転載します。

アラスカの景色は、誰をもロマンチックな詩人にさせてしまうのですね。
素敵な感想ありがとう!



●タロー(男性)

ズドォォォォーン…
寝袋の中で眠りながら聞いた、あの音が忘れられない。

都会暮らしの自分には、不自然にすら感じてしまうほどの、完璧な自然がそこにはあった。

小さな港町から船で3時間。そこが今回の旅の滞在地。船は2日後に迎えに来てもらう約束で帰って行く。文字通り何もない浜辺でのキャンプ。あるのは、海、森、空,それと崩れ落ちる氷河、それだけ。

そこで、一日中、カヤックを漕いで、氷河を求め、旅をする。
ラッコやアザラシと同じ目線で、ゆっ~くり。
自分の漕ぐ水の音と、水面でとける氷河のパチパチという気泡の音だけを聞きながらゆっ~くり。

自分が水面ギリギリに浮かんでいるんだから、その小さな音もひとつひとつ聞こえる。

そして、時折聞こえる氷河の崩れる音。
ズドォォォォーン…

自分がそこにいるのが、明らかに、場違いな感じ。
お邪魔してます、って感じてしまうほどの神秘的な自然だった。

目の前で、そびえ立つ氷河が崩れた瞬間。
崩れた氷河のかけらにカヤックが囲まれた瞬間。
こうしている間も、あの場所では、あの音が聞こえているはず…。



●ゆうこりん(女性)

朝起きると昨日と同じ氷河が目の前に広がっていた。

波の音、鳥の声、風の音、滝の流れる音、誰かが私のテントの前を砂を踏みしめてザッザッと歩く音、自然界の音以外は何も聞こえない朝。

これは夢なのか幻なのか、目が完全に覚めて、現実の朝だと分かるまでの数分間の至極の時間が永遠に続いて欲しいと思った。

圧倒的な大自然の前に言葉を失って、ただただ茫然と立ち尽くすというのはこういうことなのか。
言葉を発するとその時から現実が始まってしまうのが惜しくて、しばらくの間、大自然と私一人の感覚を味わった。


テントを出て、浜辺の中央に目を向けると、もうすでにBread とG が朝食の用意を始めている。

ここには満員電車に揺られて疲れ果てた顔をした人は誰もいない。みんなが幸せな笑顔で朝を迎えて、サンドイッチとコーヒーを飲みながら、他愛もないことで笑い合い、今日1日のアクティビティの話をした。

ふと目を上げると、正面の氷河が「遠いところからよく来たね、いらっしゃい」と言ってくれているような気がした。

As a Guest

@Serpentine Hot Springs, Alaska


自然の中に入るようになって、いつか気がついたこと

それは
誰かに連れて行ってもらう、
「ゲスト」の地に安住するかぎり、
本当の美しさには出会えない
という事実

今回の、「棚からぼた餅的北極圏空の旅」は、そりゃあ、信じられないほどに、毎日が息をのむ素敵な景色ではあったけれど、所詮、それは他人が切り開いて得た借景で、どうしたって「自分の」景色にはなりえない。まあ、贅沢な話だけれど。

私は空を飛ぶことはできないけれど
自分の足で歩くことはできるから


次は、主人公となり、
自分の足で
自分の景色を探さねば。




週末から、カナダ、ユーコンへ行ってきます。

雲と大地の境目で(ブッシュプレーン)


誤解していた。

ヒコーキは、私が最近考えていた、「極北の自然に出会うためには、足でカヌーでカヤックで犬橇で、つまりはエンジン動力フリーで移動すべし」という基本路線からは対極のところにある、と。人間の叡智が作り出した文明の産物である乗り物で、この自然にカンタンに分け入っていくのは、「ズル」じゃないか、と。



そもそも、ヒコーキ門外漢の私(及び、この文章を目にしてくれた人の多数)にとって、飛行機といえば、「成田発シアトル行き快適なジャンボ機空の旅、を思い浮かべるものだ。そうでしょ?

コックピットには沢山の計器それらはコンピュータを駆使してボタン操作で動くもの。客室内は快適で、シートベルト着用サインが消えれば、トイレにも行けるし、立ち上がってエコノミー症候群を解消すべく屈伸できる。お金を出せば180度フルフラットシートで寛ぐことだってできる。快適安全な移動手段。



ところが、今回、私が乗った、二人乗りの小さなブッシュプレーン(軽飛行機)は、上記の常識を全て覆す、ヒコーキという名前だけが同じの、まったく別の乗り物だった。

まず、その「狭さ」を説明すると、1週間分の荷物を入れた70Lのバックパックをそのまま積み込める空間などないので、小分けにし、空いた隙間にぎゅうぎゅうと積み込む。バックパッキングの準備よろしく、重さを100g単位で気にしなくてはならない。

荷物を押し込み、狭い入り口から、よっこらせ、と、後部座席にやっとのことで座れば、可動範囲は手足とも3センチ、もし閉所恐怖症の人がいたら、5分で気分悪くなってしまうようなギリギリの空間。もちろん「途中でトイレ」というわけにはいかないので利尿作用激しい朝のコーヒーは厳禁。


そんな小さなハコの中に閉じこめられていれば

この吹けば飛ぶような小さな機体が、意地悪な顔で待ち受ける、ぶ厚い雲の下を飛ぶときの、または横風強い滑走路に降りなくてはいけないときの、ヒリヒリとした前席パイロットの緊張感は、否が応でも後部座席にヒシヒシと伝わってきて

いくら鈍い私でも、これは、車で道路をドライブする、の延長線上にあるような、機械任せの気楽な移動手段ではない、と気づかされる。

私の、浅はかな「飛行機」への、いや「ブッシュプレーン」そしてそれを操る「ブッシュパイロット」なる人種への認識は、今回の1週間の空の旅で、180度、ひっくり返ってしまった。




私の心より移り気なアラスカの空は、分単位で表情を変えていく。穏やかな青空のなかへ飛び立ったはずのヒコーキは、数分後、凶悪な分厚い雲に包囲される。

雲の中に入れば、すべての世界が真っ白だ。雪の中でのホワイトアウトを3次元でやっているようなもの。上も下もわからなくなって、不確実な世界に放り込まれた心細さから、血の気がひいていく。そんなときですら、前席の彼は、「パイロットという人種は、気象予報士よりもよっぽど天気のことを分かっているんだ」と、こんな気まぐれな天気は何てことはない、いつものことさ、と嘯きながら

操縦席についたよくわからない計器類
航空地図
GPS
滑走路ガイド
雲の様子
気圧の変化
風の向き強さ
天気の変化
翼に積んだ燃料の残量

その他もろもろの条件を、すべてが刻々と変わっていく状況のなかで判断し、飛ぶ方向、着陸場所を決めていく。しかも時速100マイルのスピードのなかで、だ。これは、空を飛ぶことすら信じられない私から見れば、これは、ジェットコースターに乗りながら冷静に微分積分の問題を解いているような、曲芸師のような芸当だ。

そして着陸。砂利道の滑走路はもちろん、滑走路じゃないところにも、楽々と降りてしまう。それがブッシュプレーンなのだと言われれば、まあ、そうなのだけれど、

さすがに、降りた瞬間に海水浴を楽しめそうな細長い砂浜にビーチランディングをしたときは、緊張するのも忘れ、ただただ目を丸くするしかなかった。



でも、この
どこでも飛べて
どこでも降りられる自由というのは

言い換えれば
安全を人任せにしない
命を含めたすべての責任は自分でもつという覚悟と引き替えに成り立っているもの

自由への切符は
自然と対話できるだけの確かな技術と
責任を引き受けるだけの心の強さ
不安と真正面から向き合うその勇気が
引換券となり手に入る



ここで自分の例を引き合いに出すのは、あまりにもレベルが違いすぎてどうかと思うが、数年前、自分がアラスカのアウトドア学校の門を叩いた一番の理由は

アラスカの、文明の力では太刀打ちできないどうしようもない広い広い大地を、誰の力も借りず、自分の力で、自分の足で、もっと奥まで入っていきたい、道がなくても自分で道を切り開いてどこまでも力強く歩いていけるだけの

自信とそれを裏付ける技術が欲しかったから



休憩日、ツンドラの茫洋とした大地を歩いていて、ふと私が地図読みに自信がなくなったとき、「GPSに頼るな。地図が読めるというのは、ひとつ自由を手にすることだ」と言った彼の言葉に、はっとした。

自分と次元は違いすぎるかもしれないけれど
私のレベルで分かる範囲はここまでだから仕方ない


この人が、ブッシュパイロットとしてアラスカの空を自由に飛びたいと思った大きな理由は

自然の美しさに参った、というよりも
自分を試される自然の厳しさに惹かれたからではないのか


冒険家に特有の 、ヒリヒリとするような、 どこか狂気じみた情熱に、本でもなく映画でも体験談でもなく、現場でリアルに触れられたことは、今回の旅の、大きな、いや一番の収穫だった。


夏の3ヶ月という限られた時間、矢のように過ぎゆく時間を惜しむかのごとく、今もアラスカの空を休むことなく飛び続けているのであろう日本人ブッシュパイロット、湯口公の、ナイフの刃先のような緊張感を思っては、つい背筋を伸ばしつつ

「無理せず安全に飛んでください」なんて無粋な言葉は、どうやったって届きそうにもないので、最近読んだ本に書いてあった言葉を添えて、厳しい挑戦への成功と無事を、遠くからただただ祈りつづけることとします。



Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.

Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom

   危険から守り給えと祈るのではなく   
   危険と勇敢に立ち向かえますように 

   不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
   自由を勝ち取るために耐える心を願えますように

Grandpa

@Bettles, Alaska


夏はここベテルスでゆっくりするんだ、と
自分の飛行機でやってくる
86歳のグランパ


かっこよすぎ

Greeting

@Bettles, Alaska

この広いアラスカの空の下
空中で出会ったヒコーキ乗りたちは

よう同志、と言わんばかりに
翼を左右に揺らして挨拶をする

後部座席からしてみれば「もうこれ以上揺らさないで」と辛く乱暴な

でもその粋な会釈のしかたが
どうにも羨ましい

ブッシュパイロットの
会釈の作法

2009-09-01

Is there more to life than this?

@Serpentine Hot Springs, Alaska


誰にも教えたくない究極の秘密基地へ寄り道

見渡す限り何もない原野にひっそりとたたずむ
滑走路&素朴なキャビン&温泉小屋

どんな5つ星ホテルも
あのアマンリゾートでさえも叶わない(・・・泊まったことないけど)
ああ、アラスカ懐深し、恐るべし、な場所だった

先客は一組
「アリゾナに自家用飛行機を持ち、今回は3ヶ月かけてアラスカの空旅をしている上品なオーストラリア人飛行家夫婦」(世界にはこんなカッコイイ金持ちがいるのです!)




到着後すぐにキャビンから見えた白い黒熊
川沿いに群れをなすジャコウウシの喧嘩に息をのみ
双眼鏡越しに見るカリブーの雄の角の完璧な形に見とれる

ふかふかのツンドラの原野を気ままに歩き
その大きすぎる距離感がどうしても脳内で認識できず
いつまでもいつまでも辿り着けない目指す丘の頂上


歩き疲れたら
やわらかなツンドラの上にごろりと気ままに寝転がり
ズボンをブルーベリー色に染めながら
手当たり次第にその小さく紫色の大地からの贈り物を
口に放り込み喉を潤す

あまりの心地よさに
グリズリーへの緊張感をふと忘れる瞬間
手元のベアスプレーを目にして気を引き締めた

丘を越え
清冽な流れのクリークを飛び越えると
この日初めて現れた太陽のきらきらした光の下で
アラスカンコットンの白い綿毛が風に揺られふわふわと笑っていて
釣られて私も笑顔

3時間の散歩のつもりがいつのまにか9時間に
止むことのない北風が
もうこれ以上は無理というくらいに頬と手を冷やした頃

キャビンに戻り
少し熱めの天然掛け流し温泉でからだを温める
温泉小屋の小さな窓から
仔カリブーがキャビンの近くに迷い込んできたのを見守った

夏の終わり でもまだ
なかなか訪れない夜を闇を
ずいぶんと溜まった日記をつけながら ゆっくりと待つ夜11時
圧倒的な静けさに押しつぶされそうになりながら


昼間、先住民村で分けてもらった脂ののった鮭トバを肴に
飛行機の厳しい重さ制限のなか、一瓶だけ持ってきたウイスキーを
シエラカップに少しだけ注ぐ


アラスカの女神様
最高に贅沢で幸せな1日を
どうもどうも
ほんとうに
ありがとう




キャビン室内の壁の落書きには、ブッシュパイロットShaun Luntのサインも。

2008年、33歳で操縦する飛行機墜落事故で亡くなったこの人の写真は、一見の価値あり。と、先客オーストラリア人夫婦が興奮気味に絶賛してました。

わかちあう

@Selwik, Alaska


道路から隔絶された陸の孤島
河沿い、海沿いにひっそりと存在する小さな村々

突然、空からやってきた異邦人であるわたしたちを

子どもたちは
恥ずかしげに
でも押さえきれない好奇心で

手を振り

コンニチハー
ハロー
どこからきたの
何してるの

と、声をかけてくる



Kobuk河のほとりにあるNoorvic村に立ち寄ったときのこと

村のはずれの飛行場に戻る途中
女の子がふたり
4 wheeler に乗って追いかけてきた

手には、ムースと鮭の乾燥肉が袋いっぱい

「これ、どうぞ持って行って。
私たちは、いつでもたくさん手に入れられるから」


この肉は大地からの贈り物
人間も自然のなかで生かされている生き物だから
分かち合うのはあたりまえ

と言われた気がした



お金で買う「モノ」は
自分ひとりで手に入れたように勘違いし
つい独占したくなる

挨拶しただけの通りすがりの異邦人に
見返りなしに気持ちよく差し出せる何かをその気持ちを
私は持っているだろうか と

その晩、野生の味がするムース肉を口にしながら
自分に問いかける

冬がチラリと顔を覗かせ

@Gates of the Arctic N.P. , Alaska


この空の旅が「現実感がなく夢みたいだった」と思う理由のひとつ

それは
飛行機の速度

距離をワープ
季節もワープ
タイムマシーンに乗っての旅

晩夏のフェアバンクスを飛び立ったわたしたちは
数時間後、秋風の吹く北極圏に降り立つ

奥に見えるブルックス山脈の肌は白く化粧をしており
そう
たしかに冬がチラリと顔を覗かせていた

ベテルスからの帰り道
ユーコン河を境に 秋から夏へと戻り
何故だかほっとして

残り少ない夏をきっちり味わおう、と心に誓う

Fall Foliage

@Gates of the Arctic N.P. ,Alaska


世界は

私が思っていたよりも ずっと
美しい場所だった

Sand Dunes

スプルースの森のなかに
突然現れた
真っ白な砂丘

表面には 風の足跡