2009-09-30
朝の月 (Mt.Decoeli登頂記6)
誰もいなくて何もない、
頼れるのは本当に自分だけ、という大自然のなかで
一晩過ごすと
自分の息づかいと大自然の鼓動が徐々に重なっていき、
覚悟をした、ということなのか、自分の弱さを受け入れた、ということなのか、うまく説明はできないのだけれど、いつのまにか、「恐れ」は「畏れ」へと静かに変化し、心は、波ひとつない鏡のような湖面ほどに、しん、と静まりかえっていた。
しん、と静まりかえったのは私の心だけでなく、外の世界も同様で
朝、目覚めると
昨晩、私を恐怖に陥れた風は見事にぴたりと止んでおり
圧倒的な静けさのなか、
昨晩より一層白く雪化粧した山肌と
群青色の空に光る一筋の月が
おはよう
と、優しく微笑んでいた
凶悪な顔をした雲が(Mt.Decoeli登頂記5)
それにしても、風が強いのだ。
ブルーベリー林を超え、無事「熊問題」からサヨナラしたと思いきや、今度は、「風問題」勃発だ。
ただでさえ、山の中で、本当に本当に一人きりとなり、微妙に心細いところに、この、容赦なく吹きつける強風といったら、唯一露出している頬をみるみるうちに冷やしていく。頬とともに、一生懸命、気合いで灯し続けている、心のなかの小さな勇気という名の「明かり」も冷えてきて、心がそのままポッキリ折れそうになるくらい、風は相当に強い力で、私に向かってくる。
風がやってくるその方向に目を向ければ、ぐるぐる渦巻く凶悪な顔した雲が、西の山にべったりと張り付いて、この自然の中ではあまりにもチッポケな私とテントを見下ろし、あざ笑っていた。
寝ている間にテントが吹き飛ばされないよう、大きめの石を集めて補強しながら、数日前、ソロ登山家tomoと話した会話を思い出す。
「雨よりも雪よりも、風が嫌いだ」と言う私に、「そうかな。僕は好きだよ。風は、powerだから。遠くから、powerを運んできてくれるんだ。エネルギーの源、という感じがするな。」
ああ、tomoさん、やっぱり全然パワーの源じゃないよ、エネルギーを私から吸い上げる犯人だよ、この風は・・・、と、すっかり弱気になり、早々に、寝袋にもぐりこむ。
遠くで、マーモットが、キュゥー、と甲高い声で一声鳴いた。
ブルーベリー林を抜けて(Mt.Decoeli登頂記4)
タダだった(Mt.Decoeli登頂記3)
今回目指すのはあの頂き。
9月半ば、すでに雪が積もっていたのは想定外だ。
さて、今回、この場所を選んだ理由はどれでしょう(答えはタイトル)
1.山の形が美しい
2.トレイルが存在しないので、人に会わない
3.マヌケにも移動手段をもたずにここまでやってきたので、町からそう遠くへはいけない
4.国立公園の微妙に外側に位置しているので、1泊9ドルのバックパッキング許可証をとらなくてよい。タダだ、タダ。ブラボー。
Grizzly (Mt.Decoeli登頂記2)
2009-09-29
自画自賛(Mt.Decoeli登頂記1)
タイマーで撮影した自分のスナップをどーんと載せるなんて、どんだけ自分好きだよ、というツッコミが入りそうだけれど、
この写真が、この夏一番好きな自分の顔。
もう数日間、顔洗ってなくて鏡みてなくて、結構汚いけれど、好きな顔。
*
1ヶ月前、アラスカで、「次は自分だけの景色を探そう」と自分に課した約束を果たした。ここ数年で得た経験値を総動員して、オフトレイル・ソロ・バックパッキング体験を無事成し遂げた瞬間の、まあ、「初めてのおつかい」終わった後の、晴れ晴れしい幼稚園児の気分、というところです。
詳細つづく。
緊張感がゆるゆると解けてゆく (Yukon River 2009)
5泊6日、160キロの間、文明から遠ざかった場所で、人を連れて旅をする緊張感、というのは、いくらそれが慣れたユーコン河であろうと、いくら衛星電話を持っていようと、いくらパドリングのガイドがついていようと、独特なもので、
特に今回は、諸事情により、自分がガイドに近い役割も担ってしまったので、いつもの100倍くらい緊張感を持って毎日過ごしていたから(→いつもが緊張感なさすぎ、ということです)
無事に全員がゴールまでたどり着いたときの、この瞬間が、2009年ユーコン河下りの、私の一番のハイライト。
終わってしまうのが惜しい、と思いつつも
文明社会に戻ってゆるゆると緊張感が解けていく、この瞬間が。
朝7時、夜9時 (Yukon River 2009)
時計不要(Yukon River 2009)
2009ユーコン河カヌー下り (Yukon River 2009)
そういえば、数週間前は恒例ユーコン河下りをしていたような気がする。
今月はいろいろありすぎて、もう記憶があやふやなので、詳細な報告は、参加メンバーのブログに任せます。(報告放棄。いいのか!)
*
<写真に酔いしれるなら>
「気分は放浪記 ユーコン川09」
http://tramping.exblog.jp/i15/
<毎日何が起こっていたか詳細を知りたい人は>
「楽苦爺わーるど ユーコン報告」
http://rugzyworld.seesaa.net/category/7040771-1.html
<まだ書かれていないけれどグレイリング釣り紀行が掲載されるはず>
「Tsuchida Yasuhoのブログ」
https://amo88.office.drecom.jp/tsuchida132028/
2009-09-25
人は20時間走り続けると瞑想状態に突入する(信越五岳トレイルレース100K)
2009チャレンジシリーズ:「100キロ走る」
第一回 信越五岳トレイルランニングレース
移動距離 :100km(→東京から熱海の先くらいまで)
累積標高差 :4650m(→富士山五合目から頂上までを3回分ちょっと)
制限時間 :22時間(途中関門3カ所。朝5時半スタートの翌朝3時半まで)
山の趣味も走る趣味もない、至って冷静で常識的な家族友人一同からは、「100キロ?は?」「物好き」「ば~か」と言われるのが明白だったので、今回はあまり事前に周りに言いふらすこともなく、さらに、直前まで忙しかったので、サポーターもアシストもぺーサーもなしで、一人寂しく出かけることとなった、このレース。
結果
20時間3分(も)かけて、ゴールを踏みました。
朝5時半、小雨ぱらつくなか、ようやく明けてきた空の下、ぷぉ~ん、というラッパの合図とともに、100キロの旅は始まった。
*
長いレースも山道も、いきなりゴールを考えてはいけない。遙か遠くにありすぎて、気分悪くなるから。考えるのは、次のエイド、次の休憩地点まで、がいい。というのが、最近わかってきた。十数キロ、2-3時間なら、集中力も保てる、自分なりのルール。
本当は、長くて辛い、林道砂利道上り坂、もあったはずなのだけれど、数日経た今思い出すのは、決して飽きることのない、長野と新潟の里山の美しさ。快調に足は進み、第一関門、52キロ地点は、出発7時間20分後に着いていて、あれ、このままいけば、結構いい線で走り終えるかも?くらいの、調子に乗って自惚ぼれがでてきた、そう、その直後に。
足を木の根っこに躓かせ(今思えば、疲れてきて足が上がっていなかったに違いない)、右足小指をしたたかに打った。その痛さといえば、「リビングで足小指をイスにぶつけて飛び上がる」、誰もが知っている、あの、キーンという痛さ。見てはいないが、爪が割れたような、嫌な感触を靴の中で感じる。
困ったことに、下り坂で、靴と爪が当たる度に、その、「キーーーーーン!」な痛みが脳内を駆けめぐる。その度に、ひょぅぅぅ、と深呼吸をしながら、思うスピード出せず、それでも小走りに進んでいくと、今度は右足を庇って無理に力をかけ続けた左膝が、ああ、私もうダメです、限界です、もともと踵痛かったんですし、と悲鳴を上げてきた。
よし、34キロ歩こう、夜中3時半まであと12時間歩いてみせよう、
2009-09-20
Red Gold アラスカの至宝
2009年夏ユーコン、
なかなかタフな旅となりました。
14日間で
シャワー浴びた回数:3回
ベッドの上で寝た回数:2回
「地球探検隊」ツアー同行・ユーコン河カヌー下り & クルアニ国立公園「初」ソロ・オフトレイル・バックパッキング敢行の、濃い濃い2週間より、無事帰ってきました。例によって時差ぼけ全開中、今朝も元気に4時起きです。
今回、5シーズン目の夏(秋)のユーコンでしたが、一番考えさせられることの多い、そして息をのむ瞬間の多い旅でした。
この旅の詳細は長くなるのでまた後ほどにして・・・
*
微妙に睡眠サイクルを外し、バンクーバーから東京までの8時間太平洋横断中、つい、映画を3本も続けてみてしまい、眼球の奥が、ぎゅうと疲れているなか、
何を好んで、翌日、また映画を見に行くのだろうバカか私は・・・と思いながら出かけた冒険&環境映画祭で出会えたのは、
アラスカの豊かな自然の恵みのなかで生きる人々と、物質主義のキャピタリズムの価値観で生きる人々との、価値観の・・・文明の衝突。
この夏、アラスカ先住民の村でRed Goldを惜しげなく分け与えてもらったことを思いだし、また、今自分が住んでいるこの街は、お金があれば何でもできる便利な資本主義社会である(のに、ワタシの財布の中身は基本的に寒々しい)事実を考えながら、
両方の価値観とも微妙に分かるよなあ・・・と、どっちつかずのコウモリの気分で、アラスカの類い希な原野の美しい映像に夢中になる54分間を、都会の片隅で過ごしてきました。。
「地球上で最大のサケの遡上が見られる2つの大きな川。クビチャック川とヌシャガック川。ブリストル湾に注ぐその源流で鉱山の採掘が計画されている。それが実現すると、鉱山から流れ出る有毒な廃液を貯蔵するために、史上最大の人工ダムが必要となると言われている。
それが実現すれば、ブリストル湾の流れにのってサケが遡上する川の生態系や周辺環境にも大きな被害が予想され、地元住民やフィッシャーマン達は団結しぺブル鉱山の採掘に反対を続けている。」
*
この映画祭、東京は連休中に、それからこの後、全国でも巡業予定。考えさせられることの多い映画です。お時間あればぜひどうぞ。
Banff Mountain Film Festival World Tour
東京 9/20(日)9/21(月・祝)9/22(火・祝) ゲートシティ大崎B1
松本 10/11(日) 松本文化会館中ホール
福岡 10/17(土) NTT夢天神ホール
名古屋 10/31(土) デザインホール
大阪 11/8(日) 松下IPMホール
札幌 11/14(土) 道新ホール
仙台 11/28(土) 太白区文化センター楽楽楽ホール
2009-09-02
景色が人を詩人にさせる
さて、アラスカの氷河カヤックツアーに話は戻ります。
ツアーの後、アンケートをもらうのですが、全員が、「旅の感想は、今どうしても書けないので宿題にしてください」と言って、紙を白紙のまま渡してきました。 本当に圧倒される景色にであったとき、すぐには言葉にならない、というのは、自分も経験あること。
忙しい日常生活に舞い戻ったメンバーから、それでも時間をつくって書いてくれた感想が届き始めたので転載します。
アラスカの景色は、誰をもロマンチックな詩人にさせてしまうのですね。
素敵な感想ありがとう!
*
●タロー(男性)
ズドォォォォーン…
寝袋の中で眠りながら聞いた、あの音が忘れられない。
都会暮らしの自分には、不自然にすら感じてしまうほどの、完璧な自然がそこにはあった。
小さな港町から船で3時間。そこが今回の旅の滞在地。船は2日後に迎えに来てもらう約束で帰って行く。文字通り何もない浜辺でのキャンプ。あるのは、海、森、空,それと崩れ落ちる氷河、それだけ。
そこで、一日中、カヤックを漕いで、氷河を求め、旅をする。
ラッコやアザラシと同じ目線で、ゆっ~くり。
自分の漕ぐ水の音と、水面でとける氷河のパチパチという気泡の音だけを聞きながらゆっ~くり。
自分が水面ギリギリに浮かんでいるんだから、その小さな音もひとつひとつ聞こえる。
そして、時折聞こえる氷河の崩れる音。
ズドォォォォーン…
自分がそこにいるのが、明らかに、場違いな感じ。
お邪魔してます、って感じてしまうほどの神秘的な自然だった。
目の前で、そびえ立つ氷河が崩れた瞬間。
崩れた氷河のかけらにカヤックが囲まれた瞬間。
こうしている間も、あの場所では、あの音が聞こえているはず…。
●ゆうこりん(女性)
朝起きると昨日と同じ氷河が目の前に広がっていた。
波の音、鳥の声、風の音、滝の流れる音、誰かが私のテントの前を砂を踏みしめてザッザッと歩く音、自然界の音以外は何も聞こえない朝。
これは夢なのか幻なのか、目が完全に覚めて、現実の朝だと分かるまでの数分間の至極の時間が永遠に続いて欲しいと思った。
圧倒的な大自然の前に言葉を失って、ただただ茫然と立ち尽くすというのはこういうことなのか。
言葉を発するとその時から現実が始まってしまうのが惜しくて、しばらくの間、大自然と私一人の感覚を味わった。
テントを出て、浜辺の中央に目を向けると、もうすでにBread とG が朝食の用意を始めている。
ここには満員電車に揺られて疲れ果てた顔をした人は誰もいない。みんなが幸せな笑顔で朝を迎えて、サンドイッチとコーヒーを飲みながら、他愛もないことで笑い合い、今日1日のアクティビティの話をした。
ふと目を上げると、正面の氷河が「遠いところからよく来たね、いらっしゃい」と言ってくれているような気がした。
As a Guest
雲と大地の境目で(ブッシュプレーン)
誤解していた。
ヒコーキは、私が最近考えていた、「極北の自然に出会うためには、足でカヌーでカヤックで犬橇で、つまりはエンジン動力フリーで移動すべし」という基本路線からは対極のところにある、と。人間の叡智が作り出した文明の産物である乗り物で、この自然にカンタンに分け入っていくのは、「ズル」じゃないか、と。
*
そもそも、ヒコーキ門外漢の私(及び、この文章を目にしてくれた人の多数)にとって、飛行機といえば、「成田発シアトル行き快適なジャンボ機空の旅、を思い浮かべるものだ。そうでしょ?
コックピットには沢山の計器それらはコンピュータを駆使してボタン操作で動くもの。客室内は快適で、シートベルト着用サインが消えれば、トイレにも行けるし、立ち上がってエコノミー症候群を解消すべく屈伸できる。お金を出せば180度フルフラットシートで寛ぐことだってできる。快適安全な移動手段。
ところが、今回、私が乗った、二人乗りの小さなブッシュプレーン(軽飛行機)は、上記の常識を全て覆す、ヒコーキという名前だけが同じの、まったく別の乗り物だった。
まず、その「狭さ」を説明すると、1週間分の荷物を入れた70Lのバックパックをそのまま積み込める空間などないので、小分けにし、空いた隙間にぎゅうぎゅうと積み込む。バックパッキングの準備よろしく、重さを100g単位で気にしなくてはならない。
荷物を押し込み、狭い入り口から、よっこらせ、と、後部座席にやっとのことで座れば、可動範囲は手足とも3センチ、もし閉所恐怖症の人がいたら、5分で気分悪くなってしまうようなギリギリの空間。もちろん「途中でトイレ」というわけにはいかないので利尿作用激しい朝のコーヒーは厳禁。
そんな小さなハコの中に閉じこめられていれば
この吹けば飛ぶような小さな機体が、意地悪な顔で待ち受ける、ぶ厚い雲の下を飛ぶときの、または横風強い滑走路に降りなくてはいけないときの、ヒリヒリとした前席パイロットの緊張感は、否が応でも後部座席にヒシヒシと伝わってきて
いくら鈍い私でも、これは、車で道路をドライブする、の延長線上にあるような、機械任せの気楽な移動手段ではない、と気づかされる。
私の、浅はかな「飛行機」への、いや「ブッシュプレーン」そしてそれを操る「ブッシュパイロット」なる人種への認識は、今回の1週間の空の旅で、180度、ひっくり返ってしまった。
*
私の心より移り気なアラスカの空は、分単位で表情を変えていく。穏やかな青空のなかへ飛び立ったはずのヒコーキは、数分後、凶悪な分厚い雲に包囲される。
雲の中に入れば、すべての世界が真っ白だ。雪の中でのホワイトアウトを3次元でやっているようなもの。上も下もわからなくなって、不確実な世界に放り込まれた心細さから、血の気がひいていく。そんなときですら、前席の彼は、「パイロットという人種は、気象予報士よりもよっぽど天気のことを分かっているんだ」と、こんな気まぐれな天気は何てことはない、いつものことさ、と嘯きながら
操縦席についたよくわからない計器類
航空地図
GPS
滑走路ガイド
雲の様子
気圧の変化
風の向き強さ
天気の変化
翼に積んだ燃料の残量
その他もろもろの条件を、すべてが刻々と変わっていく状況のなかで判断し、飛ぶ方向、着陸場所を決めていく。しかも時速100マイルのスピードのなかで、だ。これは、空を飛ぶことすら信じられない私から見れば、これは、ジェットコースターに乗りながら冷静に微分積分の問題を解いているような、曲芸師のような芸当だ。
そして着陸。砂利道の滑走路はもちろん、滑走路じゃないところにも、楽々と降りてしまう。それがブッシュプレーンなのだと言われれば、まあ、そうなのだけれど、
さすがに、降りた瞬間に海水浴を楽しめそうな細長い砂浜にビーチランディングをしたときは、緊張するのも忘れ、ただただ目を丸くするしかなかった。
でも、この
どこでも飛べて
どこでも降りられる自由というのは
言い換えれば
安全を人任せにしない
命を含めたすべての責任は自分でもつという覚悟と引き替えに成り立っているもの
自由への切符は
自然と対話できるだけの確かな技術と
責任を引き受けるだけの心の強さ
不安と真正面から向き合うその勇気が
引換券となり手に入る
ここで自分の例を引き合いに出すのは、あまりにもレベルが違いすぎてどうかと思うが、数年前、自分がアラスカのアウトドア学校の門を叩いた一番の理由は
アラスカの、文明の力では太刀打ちできないどうしようもない広い広い大地を、誰の力も借りず、自分の力で、自分の足で、もっと奥まで入っていきたい、道がなくても自分で道を切り開いてどこまでも力強く歩いていけるだけの
自信とそれを裏付ける技術が欲しかったから
休憩日、ツンドラの茫洋とした大地を歩いていて、ふと私が地図読みに自信がなくなったとき、「GPSに頼るな。地図が読めるというのは、ひとつ自由を手にすることだ」と言った彼の言葉に、はっとした。
自分と次元は違いすぎるかもしれないけれど
私のレベルで分かる範囲はここまでだから仕方ない
この人が、ブッシュパイロットとしてアラスカの空を自由に飛びたいと思った大きな理由は
自然の美しさに参った、というよりも
自分を試される自然の厳しさに惹かれたからではないのか
冒険家に特有の 、ヒリヒリとするような、 どこか狂気じみた情熱に、本でもなく映画でも体験談でもなく、現場でリアルに触れられたことは、今回の旅の、大きな、いや一番の収穫だった。
夏の3ヶ月という限られた時間、矢のように過ぎゆく時間を惜しむかのごとく、今もアラスカの空を休むことなく飛び続けているのであろう日本人ブッシュパイロット、湯口公の、ナイフの刃先のような緊張感を思っては、つい背筋を伸ばしつつ
「無理せず安全に飛んでください」なんて無粋な言葉は、どうやったって届きそうにもないので、最近読んだ本に書いてあった言葉を添えて、厳しい挑戦への成功と無事を、遠くからただただ祈りつづけることとします。
*
Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.
Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom
危険から守り給えと祈るのではなく
危険と勇敢に立ち向かえますように
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように
Greeting
2009-09-01
Is there more to life than this?
*
昼間、先住民村で分けてもらった脂ののった鮭トバを肴に
アラスカの女神様
最高に贅沢で幸せな1日を
*
キャビン室内の壁の落書きには、ブッシュパイロットShaun Luntのサインも。
2008年、33歳で操縦する飛行機墜落事故で亡くなったこの人の写真は、一見の価値あり。と、先客オーストラリア人夫婦が興奮気味に絶賛してました。
わかちあう
道路から隔絶された陸の孤島
河沿い、海沿いにひっそりと存在する小さな村々
突然、空からやってきた異邦人であるわたしたちを
子どもたちは
恥ずかしげに
でも押さえきれない好奇心で
手を振り
コンニチハー
ハロー
どこからきたの
何してるの
と、声をかけてくる
Kobuk河のほとりにあるNoorvic村に立ち寄ったときのこと
村のはずれの飛行場に戻る途中
女の子がふたり
4 wheeler に乗って追いかけてきた
手には、ムースと鮭の乾燥肉が袋いっぱい
「これ、どうぞ持って行って。
私たちは、いつでもたくさん手に入れられるから」
この肉は大地からの贈り物
人間も自然のなかで生かされている生き物だから
分かち合うのはあたりまえ
と言われた気がした
お金で買う「モノ」は
自分ひとりで手に入れたように勘違いし
つい独占したくなる
挨拶しただけの通りすがりの異邦人に
見返りなしに気持ちよく差し出せる何かをその気持ちを
私は持っているだろうか と
その晩、野生の味がするムース肉を口にしながら
自分に問いかける